HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) > 68 赤 湯
掲載日 2016.5.20 旅行日 2015.7.4
夏目橋を渡り、最上川対岸の土手を走り回って、渡し船の上陸地を探したがわからず、地図から判断すると、「洲島」の対岸「夏刈」集落付近に上陸したように思える。
ここも知恵熱が出るほど地名と地図をニラメッコして、どの道を通ったのか判断に迷った所です。
土手から「夏刈」集落へ下りようとしたら、いかにも伝説が有りそうな石塔が立っており、こおいう物は船着き場付近に良く有るもんだ・・と思って、喜んで行ってみると伊達家の墓でした。
へえぇぇ・・こんな所に伊達家の墓が有ったとは知らなく、それにしても天下に名の轟いた大名なのに質素な墓ですねぇ。
土手から見えた一番大きい石塔は「六面幢」というらしく、何か書いてあるかと思ってみたが、風化のためか何も見えなかった。
すると驚いたことには、渡し船で川を越すと、津久茂で、地図では副道となっている道路に出たが、この道路は実際には25フィート(約7.5m)の幅があり、よく手入れがしてあり、両側に掘が掘られており、道に沿って電柱が並んでいた。
またたく間に新しい世界に出てきたのである。 道路は何マイルにもわたって、りっぱな身なりの歩行者、人力車、駄馬、あるいは荷車で混雑していた。
それと同時に、上には電線が走り、下には日よけの笠と扇子しか身につけぬ男がいる姿は、同じく奇妙な組み合わせに感ぜられた。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
「夏刈」から国道13号線までの道幅は、車1台が通れる位だったので、電柱が立っていた幅広の立派な道は、たぶん現在の国道13号線だと思い車の交通量が多かった。
赤湯という硫黄泉の温泉町で、私は眠りたいと思ったのだが、これほどうるさい所は今まであまりなかった。
四つの道路が合する最も賑やかなところに浴場があって、大きな水音を立てて男女の人々があふれていた。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
国道13号線から「赤湯」へ向かって旧道らしい、真っ直ぐの道を行くと、途中に古風な大きな門構えの家が有り「結城豊太郎記念館」と書いてあります。
そんな人・・知らんなぁ・・と説明文を読むと日本銀行総裁だったらしく、「無料」でしたが時間が惜しいので入りませんでした。
昼頃なので「赤湯」の図書館へ入り、昨日から持っていた餅が悪くなるので、昼食代わりに食べようと思ったが、館内は飲食禁止だったので外で食べた。
暑い日だったので、館内で涼みたかったのだがなぁ・・
南陽市・赤湯に「ハイジアパーク南陽」というのが有り、下調べの時はこの付近で野宿する時は、日帰り入浴の候補地だなと思っていたのですが、調べていると、ここにイザベラ・バードの資料が展示されてる事がわかりました。
小高い所に有る「ハイジアパーク南陽」へ行き、受付で「イザベラ・バードの資料を見たいのですが・・」と言うと、あっさり「どうぞ、中へ入ってご覧ください」と言います。
「あの・・見学料は、おいくらですか?」と聞くとタダだった。
わたしゃまた、風呂へ入る人だけが資料を見学できるのかと思っており、資料をどうしても見たかったので料金を払う覚悟はしていたので・・良かったなぁ。
しかも・・あぁたぁ・・写真撮影も「OK」という太っ腹。!(^^)!
拝見すると、イザベラ・バードが朝鮮を旅行した時の「通交許可書」が有り、全て漢字で書いてあります。
当時、朝鮮にはハングル文字は有ったのですが、一般庶民は勉強する気も無いので知らなく、一部の高級官僚だけが漢文を読めたらしい。
この「通交許可書」を見ながら、またウットオシイ隣国が「日帝が奪った物だ、謝罪と補償を・・」と言って、イチャモン付けたり、対馬の仏像のように盗まれたりしないかと心配しちまった。
イザベラ・バードが、妹に宛てた手紙の現物も展示してあり、やっぱり外人さんの書いた筆記体は、よぉ~読めまへんなぁ。
イザベラ・バードが描いたスケッチも多数展示されており上手ですねぇ。
ペン画なのでしょうか、写真のように陰影を付けて描いてあり、当時の様子や茶店などの様子が良くわかります。
明治初期の風景等は、浮世絵程度でしか知らなかったのですが、イザベラ・バードの絵を見ると当時の風景等が良くわかります。
当時の旅行鞄や服(一番上の写真)も飾ってありましたが、これは実際に旅行に使用したものではないよおです。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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