HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) > 73 縄文の女神
掲載日 2016.6.27 旅行日 2015.7.5
「猿羽根峠」の鳥居の上方にある「猿羽根山地蔵堂」は、階段がキツそうなので車道を行きました。
途中で道にロープが張ってあり「通行止め」になってましたが、ロープを潜って行くと今度は厳重な鉄パイプで「通交止め」にしてあります。
そお言えば、来る途中の路肩が崩れた所に、鉄パイプ柵が有ったので「通行止め」にしたのかもしれない。
でも、たぶんこの道を通る人は少ないので、将来も直さないだろなぁ。
鳥居を潜って猿羽根山地蔵堂へ上がる途中に、旧羽州街道の看板が有り、駐車場には一里塚が有ります。
「猿羽根山地蔵堂」は、だれも居なくヒッソリとしており、石灯籠にチッコイ仏さんが置いてあり、ここら付近の風習なのでしょうか。
「猿羽根山地蔵堂」本堂へ来て見ると、「出羽の国十三仏霊場」「最上三十三観音霊場」の納札が貼ってあり、「最上三十三観音霊場」の札所だとは思わなかったが、後で調べると「番外」らしい。
それはそれとして、ここの地蔵さんは「日本三大地蔵」の一つで歴史も古いらしく、静けさや雰囲気などから、ここで尺八を吹けばええでっしゃろなぁ。
松尾芭蕉もここを通ったようですが、イザベラ・バードは「猿羽根峠」を越した時、すぐ間近なのに「猿羽根山地蔵堂」へ寄った事は記載してなく、書き忘れたのか、疲れてたので先を急いでたのか・・・。
こんどは長い坂をくだるが、りっぱな並木道で、新庄で終わる。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
元の道に戻り「猿羽根峠」の道を下る途中、「民族資料館」の看板に「縄文の女神」の写真がありました。
なかなか変わった土偶で、そお言えばこのような土偶を何かで見たような気がする。
レプリカでも良いから拝見しようと思ったが、資料館に人が居なく見れませんでした。
イザベラ・バードが「長い下り道は並木道をなして・・」と書いてあるのは、今は桜並木になっている道を降りたのでしょう。
「舟形町」の旧道を行くと、家の前に「縄文の女神」の木彫りが置いてあり(一番上の写真)、確かにこの「縄文の女神」は斬新なデザインだと思い、縄文時代の人達は、スゴイでんなぁ。
新庄は人口五千を超えるみすぼらしい町で、水田の続く平野の中にある。 ここは大名の町である。私が見てきた大名の町はどこも衰退の空気が漂っている。
お城が壊されるか、あるいは崩れ落ちるままに放置されているということも、その原因の一つであろう。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
途中にあった南新庄駅は、小さいアッサリしたもので、新庄市内もそのまま通り過ぎようかと思いましたが、ついでだから新庄城に寄ってみました。
外堀は、いかにも城の堀と思えるものでしたが天守閣が無く、代わりに神社が有ります。
言っちゃあ悪いが、あんまり城としては見るべく魅力的な物が無く、これを書いてる時に何かオモロイネタがないかと調べると、戊辰戦争時に落城して建物の大部分と周囲の民家が焼失しちゃったらしい。
イザベラ・バードは戊辰戦争10年後に新庄へ来ており、新庄城が落城したままの状況を見て記載したのでしょう。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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