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巡礼日 2017/5/3 掲載日2017/7/1
「韓竃神社」より「出雲33観音霊場」の3番札所「鰐淵寺」へ山越えする途中、休んでいたバスの運ちゃんに「鰐淵寺へ行くのに山越えの道は、どんな状態か?」と聞きました。
「車のすれ違いが出来ないような山道なので、鰐淵小学校まで戻った方が良い」と言われたが、ガンコに山道を通って来ました。
ちょうど3番「鰐淵寺」駐車場へ出ましたが、結果としては時間的に同じようなので、鰐淵小学校まで戻った方が安心観が有るかもしれない。
「鰐淵寺」への道が舗装道路になっていたので、車でも行けるのでは・・と思って作業していた人に聞くと、やはりここに車を置いて歩かなければアカンらしい。
川に沿った道を「鰐淵寺」へ向かってテクテク歩いてると、看板が有り「八百屋お七、吉三郎の墓」と書いてあります。
へえぇぇ・・・こんな所に「八百屋お七」の墓が有ったの?・・知らなかった。
看板によると、「八百屋お七」の恋相手である吉三郎が、火あぶりの刑に処せられた「八百屋お七」の遺骨を抱き全国を放浪して、「鰐淵寺」で行き倒れになったらしい。
ちょいと調べてみると、江戸時代に少女が放火して処刑されたという記録が残っており、それがモデルになって「八百屋お七」になったよおです。
後世の作品では恋相手の名前がいろいろと違っておりますが、共通点は「お七」が16才で高校生のよおな年ごろで、もんのすごい美人だった事でしょうか。
たぶん、この墓は実際の「八百屋お七」達の物ではなく、他の良く似たな恋愛関係のモツレによる駆け落ちしたカワイソーな人たちの墓ではないかな。
やがて山門が有り、そこで入山料500円取られましたが、「出雲33観音霊場」で唯一入山料を徴収する札所寺です。
「鰐淵寺」は京都のような多くの人が来る観光寺ではなく、あんまり人が来さそうでもない山深い寺で、しかも広大な境内を有する寺なので、維持するためには仕方がないかもしれません。
看板に「三脚等の持ち込み禁止」と盛んに書いてあり、三脚と入れ良く似た尺八の筒を担いでたので三脚と間違われないかと思ったら、やっぱり疑われて聞かれた。
橋を渡った寺の入口にある小屋の所では、出入りする度に丁寧に「ありがとうございました」と言い、山門でも言われました。
普通の観光寺では、そんなこと言われた事が無いので、すごく新鮮味と誠意を感じる。
長い階段を上がると本堂が有り、紅葉の時期に来ると景色が良いだろなぁ。
三脚を立てると庭苔が痛むから禁止だと思うが、見た所では「鰐淵寺」に苔が生えてる所が無かった。
鐘楼があり「銅鐘」と書いてあり、説明書きでは弁慶が持って来たと書いてあったが、ホンマか?・・と疑い深いアタイ。
「鰐淵寺」本堂の横に「摩陀羅神社」というのが有り、そこからの景色は下界が見えるかと思ったが近くの山々だけの展望でした。
ここの石灯籠は、亀の上に灯篭が載っており、その灯篭もなかなか凝った造りです。
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