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巡礼日 2017/4/29 掲載日2017/7/25
「出雲33観音霊場」巡りを計画した時、失礼ながら山陰地方は交通の便が非常に悪く、車中泊の場所まで戻るのは時間が掛かり過ぎたり、その列車を逃すと昼頃まで無いという状況でした。
そいで車中泊をヤンピして、泊る宿を探しましたが、中国山脈とまではいかないが、山付近を巡るルート上に適した場所に宿が無いのです。
どうしようかと、ずいぶん悩み、σ(*_*)だけならば「ツェルト」野宿しても良いのですが、越後屋が居るしなぁ・・・それに途中で食料を確保できるようなスーパー・コンビニ類の店もほとんどありません。
地図ルートをニラミながらネットで探していると、雲南市付近「南大東」にライダーハウス「山里会館」が有るのを見つけ、素泊まり1500円・・おぉぉぉ、安い!!
普通の宿なら素泊まりでも最低3000円は取るのだがなぁ。
「ライダーハウス」で2泊し、もう一泊は「星上山」バガローで止まる事にしました。
雲南市木地町内のスーパーで食料を買い込み、ライダーハウスへ向かいました。
ネットに書いてある通り「南大東」駅付近から、青い屋根がライダーハウスが見えます。
ライダーハウスの管理人が居るかと思いましたが不在なので、電話をすると「勝手に入って好きな部屋に入ってくれ」と言われ、ずいぶん大雑把ですなぁ。
それじゃ失礼しますと言いながら入ると、手前のヤードはバイク・自転車ならば30台ほどギッシリ入れそうな広さです。
次の部屋は大きな炊事場で、これも勝手に使って良いそうなので、買って来た食料品を冷蔵庫に入れました。
廊下から室内へ行くと、大部屋と小部屋があったので小部屋に入り、テレビ・ポット・ストーブも有ります。
風呂に入りたかったので電話すると、ライダーハウスに隣接している本宅に入りに行くシステムのよおで、本宅へ行ってみると、ジサマとバサマの二人でライダーハウスを経営しているよおです。
バインダー綴りから宿泊名簿を取り出し、「駐在さんがたまに来て、怪しいモンが泊まらなかったかと確認するのだが、最近はプライバシー問題があるので、バインダー用紙にして一枚づつ渡して書いてもらっている」と言い、世情が現れてますねぇ。
宿代と風呂代を払うと、キチンと納品書・受領書を手書きで書き、2日分をマトメれば良いのに一日分づつ書いてくれマジメですなぁ。
風呂から上がって帰るときに、バサマから筍の煮物をもらいました。
寝袋を持って来たのでフトンは借りず、座布団を枕代わりにして静かな夜でした。
翌日の天気予報は、昼頃に雨が降るかもしれないと出ていたので、どおしょうかなぁ・・・山で雨に降られると逃げ場がないしなぁ。
足腰も痛いので今日は巡礼を止めて、車で島根県の「木造校舎」巡りをして体を休める事にしました。
結局、雨は降らなかったですが、道の状況を見ると坂がけっこう有り、明日からの自転車巡礼はキツサが予想されるので、コンジョなしなモンだから、以後の巡礼は車で巡る事にしました。
「ライダーハウス」へ帰って風呂に入りに行くと、ジサマが「今日どこまで巡ったか」と聞いてきます。
「昨日、自転車でやってみて足腰が痛く、今日は車で他の所へ行き、明日からも残りを車で巡る」と言うと「そおじゃろなぁ」と笑いながら言い、バサマからも「いい勉強しましたね」と言われた。
部屋に有った自由ノートには全国各地から来た人達が一言書いてあります。
σ(*_*)も「出雲33観音霊場を自転車で巡ろうとしたが、坂道が多そうなので挫折して車で巡る」と正直に汚い字で書きました・・泊まられる方は見て笑ってください。
出発する時にジサマに納札を挟んだノートを渡すと「書いてくれたか」と喜び、納札もノートに貼っておくと言ってくれました。
「ライダーハウス山里会館」は、同宿者が居たらプライベートが有りませんが、今回はσ(*_*)達だけだったので良かったですが、それを納得の上であるならば宿泊料も安くて自由が利き、お勧めの宿だと思います。
廃校巡りをしている時に「亀嵩」という所を通り、おぉぉ・・そお言えば「砂の器」で一躍有名になった「亀嵩駅」が有ったはずじゃ・・とばかりに亀嵩駅へ行きました。
待合室を通り抜けてホームへ出ました。
「砂の器」の感動場面・・少年が泣きながら父親を追い、亀嵩駅のホームで抱き合うシーンは、何度見ても涙が出ますねぇ。
で・・少年が走って来たと思われる方向をパチリ・・蒸気機関車がトンネルから出て来る方向は・・付近を見てもトンネルが無いなぁ。
それにしても「砂の器」で見た亀嵩駅ホームよりも幅が狭いような気がするが・・・気のせいならば良いんだけど・・
これを書いてる時に調べてみると、実際にロケした駅は「出雲矢代駅」だそうで、亀嵩駅は舞台地ですがロケ地では無いよおです・・あらあぁ・・・せっかく感動シーンを想い出してセッセッと写真を撮ったのにぃ。
σ(*_*)のように良く調べずに亀嵩駅へ来た人は、別の駅がロケ地だったと知ると、たぶんガッカリするだろなぁ。
ただこの付近にある「湯原神社」は、遍路父子が隠れていた場所のロケ地らしかったが、良く調べてなかったので行きませんでした。
亀嵩駅近くに「和泉式部の墓」という案内看板が有ったので、ついでに行ってみると線路を跨いで通る道を少し行くと、説明看板と古風な墓があります。
墓横の説明看板は「和泉式部の夫が九州へ行っちゃったので、浮気してないか心配して追いかけ、この地へ来た時に病気になり死んじゃいました。
里人は憐れんで、側に娘の小式部内侍の碑を添えて奉った」
というような事が書いてあります(一部憶測で書いてます)。
入口の掲示板には手書きの説明が書いてあり要約すると
「平安時代の有名な歌人の墓が、山陰の山中になぜあるのか?、地元でも昔から大変不思議がられ、そのためいろんな説が語られているが、いずれも半信半疑である。
そこに有る和泉式部の墓から聞こえる「私こそ・・」
皆様も和泉式部の墓が、なぜあちこちに有るのか考え推理してください。」
ふうむぅ・・なんでかなぁ・・・
その隣にも紙が貼ってあり、「和泉式部と紫式部の墓の真実」と題して、何かの本をコピー拡大したよおです。
「和泉式部の供養塔は全国に40数か所以上あるそうです。
多くは主要街道沿いに位置しており「水の歩き巫女」の足跡とされている。
この「歩き巫女」は「イズミシキブ」と呼ばれていたよおです。
他にも続いて書いてあったが、だいぶ省略・・・」
おぉぉ・・・説得力があり、この三つの説明看板は勉強になりますなぁ。
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