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巡礼日 2017/4/30 掲載日2017/8/11
出雲33観音霊場の12番札所「寿福寺」は、静かな農村風景の中に有り、そして長ぁ~い階段も有って、ヒーコラ言いながら上がりました。
「寿福寺」自体は、これと言って特徴が有りませんが、高台から望む農村風景はノドカナ感じがして、日本の原風景という感じがします。
出雲33観音霊場の13番札所「満福寺」は、まだ3時前ですが暑くて疲れ果てました。
計画段階では、ここまで自転車で巡る予定にしていましたが、ホンマにやらなくて良かった。
ここも長い階段が有り、途中に仁王門と山門が有ります。
「満福寺」境内には「接待」のお菓子が置いてあり、出雲33観音霊場は思った以上、巡礼者に対して配慮している気がします。
「満福寺」で尺八参拝が終わって境内をウロつき写真を撮っていると、本堂の裏に「清瀧大権現 この先50m」の標識杭があり、側の説明看板を越後屋が一生懸命に読んでいます。
なんかオモロイ事が書いてあれば読むのだけれど、側に地蔵さんがあったので、あんまり大した事は書いてないだろおと思ってました。
そしたら越後屋が「あんた、タバコ持ってるじゃろ。早よ出せ。」と言います。
常日頃はタバコを吸うと近寄るな、あっち行けシッシッ・・と追っ払うクセに、今日は珍しいなぁと思って聞くと、説明看板に地蔵さんにタバコを供えると悪い所が無くなると書いてあるらしい。
こおいうツマラン事には一生懸命なんだなぁ・・と思いながらタバコをやり、どれどれ・・・と説明看板を読んでみました。
吉成地蔵(スネ取地蔵)
江戸時代初期に「吉成(男)」と「於長(女)」という若い男女が他国で密通し逃走しました。
早い話が「駆け落ち」ですなぁ、あの頃は見つけられると橋のたもとでサラシ者にされるとか、殺されちゃうとかだったらしいですねぇ。
その若い二人連れが旅の途中で満福寺を訪れた時、老住職に「巡礼の旅をしていても心が休まる事が無い」と言うと「添い遂げるには、この地を安住の地として住みなさい」と言いました。
そおじゃろなぁ・・いつ追っ手にバレて捕まるか、夜もおちおち寝られなかったと思う。
以来、男は「紙漉き」職人として精を出し、女は村人にタバコ栽培を奨励しました。
村人は若い二人の「おしどり夫婦」を見習えとばかりに仕事に精を出しました。
やがて二人が相次いで死んだ時「紙と葉タバコの名声を高めた功労者」として寺の境内に地蔵を建立し、この由来により地蔵は「スネ(皮膚病)取地蔵」と呼ばれるようになりました。
お参りの仕方は最初の願掛け時にタバコを一本供え、線香代わりにダバコ一本に火を点け、自分の治したい箇所にタバコの煙を当て、自分にも煙を当てる。願いが成熟したらタバコを供える。
この地蔵が「スネ落とし」に利くのは、女が男と相添いたいとの願いが通じた事による。
ここら辺の意味が、ちとわからんのだが・・・何で「スネ落とし」なんだろ。
短い階段の上に「吉成地蔵」が有り、小屋の中に入っているためか思ったよりも新しい感じがします。
その隣に「於長」の墓が有りますが、どうせならば墓を別々にするのではなく、せっかく駆け落ちして添い遂げたのだから、一緒の墓にしてやるとか並んで墓を作ってやれば良かったのになぁ。
それにしても「駆け落ち」された相手方は、どおしたんじゃろう、腹が立っただろなぁ。
同じように若い二人も、いくら老住職から「ここに住め」と勧められたとしても、日常はビクビクしながら暮らしていたと思う。
説明看板を読み終わった後、越後屋のために、タバコを一服吸ってやりました。σ(*_*)は、基本的にやさしい人間だもん。
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