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巡礼日 2017/5/1 掲載日2017/8/29
出雲33観音霊場の18番札所「巌倉寺」の赤い山門の所に車を止め、階段を上がると赤い幟旗が立ってる堂がありました。
それが18番札所「巌倉寺」の観音堂だと思って写真を撮ってると、先に来ていた越後屋が「堂の中はダンボールだらけで、物置みたいになっている」と言います。
堂内を覗いて見ると確かに物置状態で、ダンボールとか発泡スチロールの箱が乱雑に置いてありますが、それでも奥には仏さんらしいものも鎮座していました。
改めて幟旗を見ると「楽寿観音」と書いてあり、堂の看板を探しましたが有りません。
幟旗を見ると、やっぱり観音堂だけどなぁ・・ここの観音さんは、あんまり優遇されてないよおです。
堂内部には古い奉納額が飾ってあり、巌倉寺境内を表していると思われる物や、中国武人と思われる図柄が有ります。
三味線を抱えているのは、明治41年浄瑠璃の奉納額のよおで、ここら付近は浄瑠璃が盛んだったのでしょうか。
越後屋が近くで工事している人に聞きに行くと、上の方へ行くと18番札所「巌倉寺」の観音堂が有ると教えてくれたよおです。
それにしても参拝対象としない堂を物置状態にするならば、観音の幟旗なんか立てなければ良いのにぃ。
天井には千社札が貼ってあるので、元はキチンとした堂だったと思うが、何でこんなに粗末に扱われ事になったのだろう。
堂の正式名称はわかりませんが、仮に「楽寿観音堂」としておきます。
階段を上がり、さらに細い道の階段を上がると、やっぱり旗が立っている小さい堂があり、これが出雲33観音霊場の18番札所「巌倉寺」だと思って喜んだら、越後屋が「違うようだ、隣の大きい堂の方だと思う。」と言います。
そお言えば、先ほどから木魚を叩いて読経しているのが聞こてたので行ってみると、僧形の人とジサマが堂前で参拝しており、看板にも「18番札所 巌倉寺」と書いてありました。
ところが巌倉寺で参拝終わったら越後屋が「やっぱり先ほどの堂が19番札所だ」と言い、そおいえば、ここは二つの札所が有る所だったのを思い出した。
少し離れた同じ境内の19番札所「観音寺」へ行ってみると、堂前に草刈機が立て掛けてあり、どおもこの19番札所「観音寺」も優遇されてないようです。
そもそも最初の楽寿観音堂に幟旗が立って勘違いした事から全てが始まり、そんなにあちこち幟旗を立てなくても良いのに。
尺八参拝が終わると、草刈りのジサマが来て「すんまへんねぇ」と謝りながら器具を持って行きました。
山門の所に戻ると、原付バイクに銀マットが足の方に積んであったので、若い衆の野宿旅かと思ってたらジサマでした。
白髪で80才位のように思え、あえて話はしなかったが、荷物の積方や用具を見ると、あんまり旅なれてなく初めての長距離旅行のように思える。
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