「六郷満山」霊場22番札所「清浄光寺」の場所も不正確だったので、慎重に車を進めました。
あんまりにも、それらしい寺が無いので、近くの人家に入って行く運送屋のアンチャンに聞いたが「わからん」と言います。
礼を言って分かれ、そのまま少し行った所でタンボの向こう側に鳥居が見え、その山麓に有る家に地蔵さんと法輪塔が見えました。
それが見えなかったら、普通の民家と変わらなかったので通り過ぎちまって泣いてたと思う。
「峰の下」バス停で時刻表を見ると、時間的にバスも来ないようなので、そこに車を置いて「清浄光寺」へ行きました。
石垣の白壁が剥がれて痛んでおり、古さと無住を感じさせます。(一番上の写真)
それでも国東半島の特徴で、寺の多くで見られる仁王さんが、階段脇に勇ましくガンバッテいます。
次ぎの12番札所「弥勒寺」へ行く前に、ここら付近のスーパーでは、弁当を買いましたが、味噌汁をオマケにくれるところが多いよおです。
途中に「重野岩窟仏」の看板が有ったので、ついでに見に行くと、岩窟は深くはないが、ズラッ~・・と石仏が並んでおり、羅漢さんだそうな。
「重野岩窟仏」付近を流れる川の側に看板が立っており、「国東半島の昔話」が書いてあります。
それが一つだけでなく、そこら付近に一杯立っており、ヒマなもんだから口を空けて次々に読んでみました。
こおいう風に近郷の昔話を紹介してくれるのは、初めてこの地を旅行する者にすれば面白くて良いと思い、σ(*_*)がお役所のエライ人だったら、これを提案した人には表彰状をあげちゃうなぁ。
「川端地蔵とやせだの話」 昔、牛馬が疫病で次々に死んだので、河原に集めて殺したそうな。それから、夜になると「やせ馬」が悲しそうに鳴くので、地蔵さんをたてたそうです。
「白丸峠の白狐の大芝居の話」 これは・・狐がバアさんをダマした・・という、良く有る話しです。
「太郎天と湯原の湯の話」 エライ祭官さんが安産を祈ったら、岩窪から湯が出た。それが、この付近の「湯原」温泉の発祥・・という話しかな。
「霧島つつじと白丸城の話」 武者修行していた若い武士が、この地に落ちつき、付近の天狗をやっつけました。
その後、村の娘と結婚して白丸城を築き、シアワセな日々を過ごしましたとさ・・
ところが、あぁたぁ・・突然に大友軍が攻め込んじまって落城しちゃい、その屋敷跡に霧島つつじが、今も咲き誇るそうです・・カワイソーでんなぁ。
「おべん柿の話」 小汚い坊主が村に来て水を求めたので、「おべんさん」と言われてたバサマが冷たい水をあげました。
小汚い坊さんは、お礼に3粒の種をバアさんに渡して、どっかへ行っちゃいました。きっと、どこかで拾い食いした柿の種だったのでしょう。
種を植えると、たくさんの柿が稔り、これが「おべん柿」と名付けられたそうです。
「ぶすの話」 まぁ・・これはトンチ話みたいもんですかねぇ・・
12番札所「弥勒寺」は道端から離れた、鳥居の側に有る小さな堂でした。
堂内の壁には、何の云われが有るのか、大きなスリコギ?とシャモジが掛けてあります。
欄間は「流水」で統一されており、アッサリしたデザインながらも古さを感じます。
天井を見ると、木の節目を利用してあり、建築関係では木の節目を避けるように使われてるのが多いのですが、ううむうぅぅ・・それを逆手に取って、このように節目を利用した天井は、今まで見た事が無い。
これを考えた人は、エライッ!!、 なかなか味の有る天井だと思います。
後日「イザベラ・バードの道」をたどった旅行時に寄った、新潟・関川村「渡辺邸」にも木の節目を利用した天井がありました。
側の広場には五輪塔が並んでおり、堂横の階段を上がると岩窟に「三社権現」の祠がありました。