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巡礼日 2013.8.20・21 掲載日 2014.3.14
「越中一国観音霊場」の札所は所在しませんが、南砺市福光町はσ(*_*)の生まれ故郷で、両親が他界して家の管理が難しくなり売り払ってしまったので、もう帰っても泊まるべき家は有りまへん。
中学時代の同級生が、σ(*_*)のためにわざわざ「集まりの会」を開いてくれたので、その日に合わせて20・21日と2日間、福光公園で野宿しました。
友人の何人かは泊まる場所を心配してくれましたが、友人宅で世話になるのは、どちらもお互いに気遣いすると思うので断りました。
最初の日は、久々に福光町内をウロつき回り、何軒か有った風呂屋を探すと廃業しており、一件だけやっていた風呂屋も当日は休みでした。
もう暗くなり始めてたので、遠くの日帰り温泉へ行くのも面倒なのでヤンピ。
雨がたまにパラつき、福光公園に有る屋根付きの広い「お休み所」で寝てましたが、どうも雨が当たりそうなので、場所を変えてトイレのベンチで寝たが、ベンチ幅が狭すぎる。
起きたついでに、体が汗でベトベトするので、トイレ洗面所の水で体を拭くとサッパリしました。
トイレのベンチも寝にくいので、最初に来た時から目を付けていた施設の庇に移動すると、すぐに強い雨が降り出して、ギリギリセーフ・・・・!!、あのまま「お休み処」やトイレのベンチで寝てたら、慌てたじゃろなぁ。
翌日、同級生がミニコンサートを開くと言うので、飛び入りで尺八を吹かせてもらい、その様子はσ(*_*)のブログ「春の海」と「N&Kミニコンサート」 を御笑読ください。
夕方頃より同級会を開いてくれ、夜10時頃に解散となったので、当然風呂へ入れない。
真夏の暑い時に、2日間風呂に入れないのもツライもので、やっぱりトイレの洗面所で体を拭いてしのぎました。
その夜は雨が降らないよおなので、「お休み所」で蚊取り線香を炊いて寝ると、前日よりも涼しく夜中に目を覚ます事が少なかった。
朝、福光公園のグランドでラジオ体操をやってたので久々に体操をし、ついでに公園の周囲もグルッと散歩しました。
話は少し変わって、あんまり知られていないのですが、第二次大戦中に福光へ版画家の「棟方志功」が疎開してました。
その住んでいた家を復元して「鯉雨画斎」として保存され、その側には「愛染苑」というのが有り「棟方志功」の作品が飾ってあります。
一度だけ見学しましたが、便所にも「棟方志功」が書いた落書きがしてあり、どんな絵だったか忘れましたが、それを見て「あらあぁ・・こんな所にぃ・・」と思わず笑った事だけは覚えてます。
小さい頃、図書館や中学の体育館に「天女」さんを描いた大きい額が飾ってありましたが、あんまりにもその絵が写実的でなかったので、何でこんな絵を飾っとくのか・・と思ったのですが、これが棟方志功の描いた物だったのです。
もう一つ棟方志功に関する逸話として、実はσ(*_*)の家に「棟方志功」実筆の賞状が飾ってありました。
普通の賞状だったらキレイな読みやすい字なんですが、それがまた失礼ながら子供心にも独特な汚い字だなぁ・・と思って見てたのです。
後になって、それが棟方志功が直筆で書いた賞状で、兄が何かの事で貰った賞状だったと聞き、その賞状は今も兄が持ってるそうで、「何でも鑑定団」に出したら、いくら位するじゃろか?(^O^)
今思っても、絵にしろ字にしろ、棟方志功は他の人がマネする事が出来ない独特の表現が有ったのでしょう。
あんまり知られてないと言う事に関して、話しはまた少し変わりますが、・・木曽義仲の愛妾「巴御前」に関する伝説が福光町にあります。
「巴御前」が倶利伽羅峠の戦いの時に子供を出産し、戦いに子供を連れて行けないので、我が子を殺して埋めたという「巴塚」が有り、別名「一本松」とも言われてます。
子供の頃にその話しを聞いた時、「そこを掘ったら骨が出て来るのか」とホンキで聞き返した事が有ります・・笑ってやってください。(^O^)
別の説では、木曽義仲が討たれた時に、「巴御前」がここまで落ち延びて尼さんとなり、その墓だという説も有ります。
だれか「巴塚」を掘ってみてね・・・骨が残ってるかもしれんから・・(^O^)
子供の頃、縄張りにして良く遊んでた「宇佐八幡宮」で尺八を献笛して「越中一国観音霊場」巡りに出発しました。
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