高山市内にある飛騨三十三観音霊場の18番札所「恩林寺」付近へ行くと、「立正佼成会」の大きな看板が有り、観音さんの幟も上の方に立ってます。
恩林寺も「立正佼成会」グループと一緒になっちまったのかと思ったが、看板は単に行き先を示してるだけのようでした。
その横に「巡礼の碑」というのが有り、こおいう所で思いがけず「巡礼」という単語を見ると、おぉぉ・・と思う。
18番札所「恩林寺」階段を上がった高台に、中国の「文化大革命」による難を逃れてきた「渡来観音」が有ります。
こおいう仏像が有る事は下調べした時に知っていましたが、飛騨三十三観音霊場のどこの寺だったか忘れており、ここだったのね。
後で説明を聞いたのですが、この渡来観音を最初は倉庫に入れてたのですが、人目に触れて参拝される方が良いだろおと思って境内に飾ったのだそうです。
外に出ていた「恩林寺」の奥さんが「戸を開けましょうか」と言ってくれましたが、夕暮れ時で忙しいだろおと思い「いえ・・・、このままで、けっこうです」と断りました。
しかし、よしゃあぁ良いのに越後屋がガラス戸越しに堂内を覗いているのを見られちまい、奥さんが戸を開けてくれました。
この、バカタレメが・・・そんな事するから、この忙しいのに気を使われたじゃねぇか。
それでも外から尺八を吹いて参拝すると、奥さんがもんのすごく喜んでくれ「ぜひ、本堂に上がって中を見て行ってくれ」と言いますが、信心が足りんモンなので、正直言って、あんまり仏さんには興味がありません。
「あっ・・いえ・・もう夕暮れ時なので忙しいでしょうから、けっこうです」と断ったのですが、越後屋が「せっかくなので、それでは・・」と、あつかましくも靴を脱いでズカズカ・・と入っちゃったので、入らざるを得なかった・・このバカタレめが・・。
「恩林寺」本堂内には珍しい中国風の行灯が、天井から下がっております。(一番上の写真)
「これも中国から難を逃れたのですか」と聞けば、近所に中国の人が居るらしく寄進されたそうな。
左奥の方に案内され、仏さんがゴチャゴチャ飾ってあります。(写真に写ってるのは、ほんの一部だけです)
「恩林寺」境内の渡来観音さんだけでなく、これらの仏さんも中国の「文化大革命」から難を逃れて来たものらしい。
まさか堂内にも、こんなに沢山の仏像が中国から避難して来ていたのだとは思わなかった。
じっくり拝見すると、仏さんの姿・形が日本のとは少し違っており、その中でも横座りして、くつろいでる白い観音さんは
おぉぉ・・・よぉ~来たのぉぅ、ワレ。
まぁ・・・そこらに散らばってるゴミを押し退けて、適当な所に、はよぉ~座れ。
そこに有る茶を飲みながら・・・あっ、酒の方が良いか?・・焼酎しかないけれど・・
スーパーの3割引で買った、スルメの足も有るでぇ。
そいで、ゆっくり悩みやら話しを聞こうじゃないの・・と言ってるようです。(^O^)
このように、くつろいでる姿の仏さんは、たぶん日本の寺ではお目にかかれないと思う。
なあぁ~んか、もんのすごく人間味が有って親しみを感じ、信心の足りないσ(*_*)でも、このまま観音さんを見続けて会話したいように思い、このように思った仏さんは初めてです。
奥さんにそれを言ってみると「日本のは、「キョウツケ」の形が多いですからね」と言われてみれば、その通りで確かに中国から来た白い観音さんは「ヤスメ」の形だと思う。
日本の仏さんは、たいていクソマジメな顔して真っ直ぐに立ったり座ったりしており、ワシが一番正しく立派なんじゃ・・というような感じがするので近寄りがたい気がしてたのです。
なもんだから、σ(*_*)のような罪深い不信心モンにしてみれば畏れ多くて、あんまりまともに御尊顔を拝したいと思わなかった。
頭の部分だけの仏さんが多数有ったので聞いてみると「せめて頭の方だけでも・・と思って、文化大革命の難を逃れたのでは・・」と言います。
中国の「文化大革命」は、確かに今までの旧文化遺産や思想等を徹底的に破壊しつくしました。
この「せめて頭の部分だけでも・・・」という所に、当時の切羽詰まった緊急避難的事情が、よぉ~表れているように思う。
韓国人のドロボーが対馬の寺から盗んで行った仏像も、元は確かに朝鮮に有ったのかもしれない。
しかし、当時の朝鮮は儒教の影響で仏教が迫害されており、この寺の仏像のように破壊・消滅されるのを避けるため関係者が対馬へ運んだように思う。
こおいう仏像を見る縁が有ったのは、尺八を吹いたがための功徳なのかもしれまへん・・ナモナモ・・・。
暗くなり始めたので今日は「はすえ」駅までとして、その夜も古川駅裏の駐車場で車泊をし、古川温泉の「たんぼの湯」に入りました。
今の若い人達は知らないでしょうが、σ(*_*)が美青年の頃、中国で「文化大革命」が発生して、σ(*_*)と同年代の「紅衛兵」が、そりゃあぁ~もう、無茶苦茶の理屈をこねて中国内を暴れ回ってました。
それに影響されて日本でも「毛沢東語録」が書店に並び、毛沢東思想にカブレル者や学生も多く居ました。
その立派な思想・主張を聞きσ(*_*)も若気が盛んだったので、反常識・反体制を叫べば、何と無く正義を主張しているような気がして、おぉぉぉ・・その通りじゃ!!と思ったもんです。
が・・・そのカブレタ者達は「民衆のため・・」という言う正義の言葉とは裏腹に、言動が一致してなく、言葉だけは立派で行動が自分勝手なのです。
そんなに「民衆のため」と盛んに言うのならば、その民衆のために、目の前に落ちているゴミの一つでも拾えや・・と・・思い始め、幸いにも自分はそのカブレ思想には染まりまへんでした。
あのカブレタ友達は、今、何をしとるのかなぁ・・・
ネットで「文化大革命」を検索してみると「文化大革命の真実」というブログがありましたので、当時の中国国内での様子を知りたい方は読んでみてください。
改めて読んでみると、当時の中国内情は想像以上に酷く、あの狂気の混乱期の中で、だれの手によるか知らないけれど、よくぞあの仏像が日本の「恩林寺」にたどり着いたと思う。
σ(*_*)と同年代であった中国の紅衛兵達は、若い時に学ぶべき事を学ばず、倫理・道徳を説く者を迫害・虐殺したがため倫理・道徳がわからないまま大人になりました。
そんな大人が現在は国を動かすトップとなり、次の時代を背負う子供達に対し、人間らしい道徳・倫理観を持って生きるべき事等を教えれるじゃろか?
自分が知らないのに教える事なんか出来まへんわなぁ・・・その結果が現在の尖閣・南沙諸島への恫喝・略奪的行為、チベット・ウィグル人達への弾圧だと思う。
以前の「雄大なる中国三千年の歴史・伝統・思想」は、「文化大革命」のため完全に夢幻の如く消え去ったと思います。
現在の中国は昔と違って全く異質で、常識の通らない国だと認識しないとアカンでっせぇ。
たぶん中国の学校では「文化大革命」は失敗しているので、「天安門事件」と同様に歴史から消し去りたいので正確に教えてないと思う。
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