越中西街道を自転車を漕ぎ、「大無雁」付近で宮川の中州?に小さい祠が有りますが、よぉ~まぁ~・・・川の増水で流されないもんだと思う。
「岸奥トンネル」横にも旧道が有ったので通ってみると、途中にダムが有り、この施設が有るから旧道は廃れずに残されたのかもしれない。
水の色が緑色した、いかにも深そうな淵があったので、自転車を止めてみると「嫁ケ淵」の説明看板が有ります。(一番上の写真)
淵の名前からして、おおかたバアサンが「あら・・ヨメコさん!!・・我が家の風習では、こおしているのよ。何も知らないヨメだこと・・」とか何とか言ってヨメさんをイジメて泣かした話しでねぇかなぁ・・・と予想されます。
以下、その「嫁ケ淵」伝説
昔、年老いた母と息子が一軒の宿屋を経営していました。
よっしゃあぁ・・・バアサンが出てきたぞ。(^_^)v
巡礼姿の美しい女が宿を取りましたが、降り続く雨のため足止めされたので宿で働き始め、やがて息子のヨメになりました。
おっ・・・美しい女巡礼ときたか・・・ワクワク・・・
ヨメは毎日のように川魚を取って来るので、不思議に思った息子が後を付けて様子を伺っていると、ヨメは淵に飛び込み・・・・
カワイソーに、よっぽどオババに隠れてイジメられ、ツライ思いをしたんだろなぁ・・あっ、違うか・・
やがて大蛇が、大きな鱒をくわえて浮かび上がって来たので、息子は驚きの声を発しました。
そりゃあぁ~そおだわなぁ・・・σ(*_*)なんか、チッコイ蛇を見つけてもビックリして声を出すほどだから・・・ましてや、大蛇だったら腰を抜かして気絶しちまうでぇ。
大蛇は再び深い淵にもぐり、正体を見破られたヨメは二度と家に戻る事はなかった。
というカワイソーな「嫁ケ淵」伝説で、ヨメイビリの話ではなかった。
坂上駅に着き、汽車時間を確かめてから飛騨三十三観音霊場の15番札所の「洞泉寺」へ行きました。
札所は駅のすぐ近くで、「洞泉寺」の階段横には雪除けのためらしい屋根の通路もあり、寺は大きく無人でしたが、そんなに荒れている感じはありません。
「洞泉寺」庫裡の玄関に「天井龍神絵や襖の揮毫も見てください」と書いてあったが、おおい~ぃぃ・・戸が開きまへんでぇ。
ガラス戸越しに見ると、確かに天井に龍の絵が描いてあるようですが、ガラスが反射して、よぉ~見えません。
襖には、いかにも禅宗らしい字が書いてあり、後で調べると「即」という字らしい。
「洞泉寺」境内の草むらに、頭部分だけの観音さんが置いてあり、石屋根で囲ってあるので大事にされているらしく、普通こおいう場合は全身像なのだが、何故に頭部だけなんじゃろか?
さぞかしカワイソーな云われが有るのじゃろなぁ・・・ネットで調べても、わからなかったので、だれか知っていたら教えてね。
「洞泉寺」本堂の扉も当然開かず、しかし、惜しいなぁ・・・これだけの落ち着いた寺なのに無人にしておくのは・・・
σ(*_*)に留守番させてくれたら、草取りの掃除しながら、毎日尺八吹いて余生を過ごすのにぃ。
坂上駅へ戻ると、洞泉寺・境内から駅へ直接来れたようです。
待合室には宮川小学校の生徒が作った「伝説カレンダー」が貼ってあり、子供がジサマと散歩しながら、昔の伝説「ニコイ長者と菅沼長者」を聞いた内容を版画カレンダーにしたようです。
ニコイ長者と菅沼長者が居て、何かにつけて二人して張り合っていたそうな。
菅沼長者がニコイ長者の家へ招かれた時に、ゼイタクな接待をされちゃったもんだから、菅沼長者は負けてはおれん・・と考えました。
その対抗意識を、もおチット他の所へ持って行けば良かったのになぁ。
菅沼長者は餅をたくさん撞いて、ニコイ長者を迎え、餅を薪と一緒に燃やしました。
アホですねぇ・・・やることが・・・
食べ物を粗末にしたもんだから、菅沼長者は落ちぶれちゃい・・・
張り合いを無くしたニコイ長者は、大判・小判を山に埋めて旅に出ました。
子供がジサマに「ジサマは大判・小判を掘った事があるの?」と聞くと「この話しは、終わりじゃ、ワッハッハッハッ・・」と大笑いしました。
しかし、何となく子供が聞いた心境が、わかりますねぇ。(^O^)
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