HOME > 遍路・巡礼 > 「伊豆国横道33観音霊場」地図と目次 > 5 一 色
巡礼日 2014.11.19 掲載日 2015.3.13
「伊豆国横道33観音霊場」の7番札所「宝蔵院」より次ぎの6番札所「慈眼寺」へ向かって自転車に乗り、坂道の車道なので「アァ~レェ~エェェッッ~・・」と言う間に山麓の「一色」に着きました。
途中の川沿いに説明看板が立ってたので、何かオモロイ事が書いて有るのかと思って見ると、道筋に溶岩が露出している説明でした。
写真入りの説明だったので、自転車を下りて近くの崖をわざわざ探すと、丸い岩だと思ってたのが「枕状溶岩」でした。
「マグマの通り道(岩脈)」は、チトわかりずらかったが写真と照らし合わすと、おぉぉ・・これだ・これだ・・なるほどなぁ。
「一色橋」を渡った付近に公会堂のような建物が有り、石が並んで置いてあります。
翡翠とか何ぞ珍しい石が飾ってあるのか?と思って見ると「一色ジオイド」と書いてありました。
並んでる石は、先程「溶岩」を見た説明看板の下にも転がっていたのと同じような石だったので、あそこでチッコイのを2・3個拾って来れば良かったなぁ。
なんせ「一色ジオイド」と言う、カタカナの珍しい石なもんだから・・
で・・これを書いてる時に「ジオイド」と言う単語を検索してみると、何と言って良いのか・・・いきなり「地球の重力が、どうのこうの・・」と難しい事が書いてあり、学の無いσ(*_*)には、よぉ~わからん。
もおちっと学校で勉強しておけば、ここでエラソーに解説する事が出来たんだが・・なんせ遊んでばっかりしていたもんで・・。
少なくとも「ジオイド」と言うのは岩石名では無く、地球物理学の何かの現象を言ってるらしい。
それと・・写真で「一式」と書いて消しており、「一色」が正しいです、すんまへん。
「堀坂」集落の旧道より、川沿いに山へ向かうと「伊豆国横道33観音霊場」の6番札所「慈眼寺」が有りました。
公民館のような現代的建物なので、アレッ?と思いましたが、入口には地蔵さん達が「いらっしゃいませぇ(ハァ~ト)」と言ってるように、赤い帽子を被って立ち並んで出迎えており、建物玄関にも、しっかり「卍」マークが付いています。
「慈眼寺」境内には「唯我独尊?」のカッコウしたお釈迦さん?の像が有りましたが、あんまりこおいう像は無いので珍しいと思う。
これを書いてる時に「慈眼寺」について調べると、赤穂浪士47人の内、只一人切腹しなかった寺坂さんの墓というか供養塔が有ったらしい。
討ち入り後に赤穂浪士・寺坂さんが行方不明になった原因には、諸説が有りますがσ(*_*)はボスの内蔵助さんより「あぁたは、これより落ち延びて、討ち入りの様子を浪士遺族達に語り伝えよ。あぁ~たでないと、この任務は出来ない。」との密命説が現実に近いと思ってます。
で・・赤穂浪士・寺坂さんの墓と言われるのが、全国で7箇所有るそうで、ここもその一つになってます。
で・・たび重なる失礼ながらも、何で伊豆の、あんまり知られていない、この片田舎「堀坂」に赤穂浪士・寺坂さんの墓が有るのかは、西伊豆町役場のHPによると
「赤穂浪士討入り快挙の後、供養のため僧形となり、諸国遍歴の途にあって、鈴木権内方に滞在し、この地で一生を終ったと言う。
この寺の過去帳では「寺坂吉右ヱ門事一相西円上座」、「但し、江戸の人四十七人の一人」とある。又、富貴野山宝蔵院に梵鐘を献納した話なども伝えられている。」と掲載されてます。
密命説・・供養説・・果たして、どれが正しいのか、それとも全く違ってるのか・・
それにしても、「伊豆国横道33観音霊場」の6番札所「慈眼寺」に赤穂浪士・寺坂さんと関係が有ると事前に知ってたら、供養塔を探したのになぁ。
看板でも設置されていれば探したのにぃ・・でも、墓の持ち主である鈴木さんに迷惑かな。
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