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巡礼日 2012.11.22 掲載日 2014.1.7
英彦山の山道を歩いて、だいぶ疲れて来た頃、道端にチッコイ祠が有り、これが玉屋神社かと思いましたが、英彦山案内図に載ってる絵のような大きさじゃありまへん。
もう少し先へ行った広場の切り立った崖下に「玉屋神社」が有り、そこからは展望がきいて、遠くの山々が望めました。
玉屋神社は、それなりの風格が有り、古びた狛犬がチョコンと「お座り」しています。
案内看板を見ると「般若岩の霊水」と言う「日本三大霊水」が有るらしく、「玉屋神社」横から続く崖に向かって階段を行ってみると、そこの窪みに水が溜まってました。
柄杓も備えてありますが、水を見ると枯葉が浮いており、さすがに貴重で珍しい「三大霊水」でも飲む気にならず、霊水は湧いてるのでは無く、岩を伝い落ちる水のよおです。
玉屋神社境内を出発すると、すぐ近くの杉に注連縄が張ってあったので、それが「鬼杉」かと思って拝もうとしたが違ってました。
なんせ英彦山案内図では、「鬼杉」がすぐ近くに描いてあったもんでして・・・
英彦山の山道を歩いて行くと、崖のような所でロープが垂れ下がって降りるようになってます。
英彦山のハイキングコースにしては、えらいオトロシイ所で、下りるのは良いが・・上がる人は木の根っこにも掴まりながら上がらないとアカンでしょうなぁ。
少し行くと小川が有り「牛窟」の看板があり、牛がどうかなった・・とかのカワイソーな伝説の場所かと思ったが、看板を読むと英彦山には49窟が有り、その一つらしい。
すぐ側に「鬼杉」が有り、さすがに大きい。
先に行ってた越後屋がジサマと話しており聞いてみると、σ(*_*)らと同じコースを取るつもりだったが、間違えて梵字岩コースを通って来たそうですが、そんなに間違うような道では、なかったと思うが・・
ジサマは、携帯で写した梵字岩や磨崖仏の写真を見せてくれ、聞いてみると「梵字岩」等への距離は、けっこう離れているらしいので「梵字岩」へ行くのをヤンピしました。
大南神社も離れているのかと思って聞いてみると、これはすぐ近くの上に有り、神社内に入れて休んで来たと教えてくれます。
「鬼杉」にベンチが有り昼飯にしようか・・と思ったが、その付近全域が湿気ってるので、すぐ近くに有るという大南神社で食べる事にしました。
大南神社は崖の窪みに建っており、日当たりも良い場所です。
扉はガタついて開けにくいか・・と思いましたが、以外にも簡単に開き、拝殿内はキレイです。
床にドッカリ座って、まずは持ってきたオデンを食べて腹ごしらえ。
参拝ノートが有ったのでパラパラ・・と読んでみると、英彦山頂上から降りる途中で道に迷い、偶然この大南神社を見つけて中へ入った事を記したのが2例有りました。
一つはカップルで、途中で薄暗くなって道に迷い、ここに来て助かり、翌日下山したらしい。
カップルの女性が、備えてあった蝋燭の光を頼りにノートに書き、内容は遭難して神社で一夜を過ごす不安・感謝・反省などの心情が、しっかりした字で記載されてました。
このような状態に陥って女性は泣いていたそうですが、彼氏の励ましで大南神社や家族に感謝する事に気付いた事等が書いてあり、読んでるとその時の心情が、よぉ~伝わってきます。
もう一例は、女子中学生4人が英彦山・山頂から降りる時に道に迷い、この大南神社を見つけ、室内に有った銀マットを敷いて助けを待った様子が記載されてます。
当日は雨だったようで、ノート記載時間は夕方5時頃・・・読んでいて感心したのは、彼女達自身でハッピーな話をしようと決めた事です。
こおいう遭難状態に陥った場合は、大人でも絶望的な暗い話になっちまうもんだが、明るい話題をしようと彼女たち自身が決めたのは、もんのすごくエライッ!!
彼女達は、その日のうちに救助されたそうです。
そおいえば、部屋には銀マットが置いてあり、この大南神社は避難小屋的の重要な役割もしていたんですねぇ。
遭難した人達は山深い暗闇の中で、どんなに心細い思いをした事でしょう。
そう思うと「大南神社、よくぞこの人達を助けてくれた!!・・」という感謝の気持ちが出てきます。
今までだったら昼飯・休憩を終えると、それでサヨナラしてトットッと出て行ったのですが、この時ばかりは大南神社に対して、せめて何かの感謝の気持ちを表したいと痛烈に思いました。
何も持っていないσ(*_*)に出来る事といえば、感謝の念を精一杯込めて、神前で尺八を吹く事しかありまへん。
信心の足りんσ(*_*)が、今までこれほど感謝の念を込めて吹いた事が有ったじゃろおか・・。
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