HOME > 全国各地の霊場巡り > 「九州西国33観音霊場」目次と地図 > 15 般若姫伝説
巡礼日 2012.11.16 掲載日 2014.1.28
7時半頃、三重駅を出発して、九州西国33観音霊場の11番札所「蓮城寺」へ向かいましたが、出発時から自転車に付けた「サイクルメーター」の調子がおかしく、今朝は寒くて車に霜が降りて凍っていたからかなぁ。
あきらめて、そのまま走っていたら直ったようだが、やっぱり壊れて結局使い物にならんかった
ガソリンスタンド付近に蓮城寺への看板が有り、国道から分岐してる旧道を行くようだが越後屋がそれを見逃しちまって、そのまま国道の坂道をかなり進んでます。
呼んでも聞こえない距離なので、しばらくすれば振り返っるだろうと思い、その付近でボオッ~と待ちました。
やっと振り返って立ち止まり、こちらを見たので手を大きく振って合図したら戻って来たが、まぁ・・確かにこの看板は気を付けてないと、わかりにくいですわなぁ。
川沿いの道を行くと「金亀ケ淵」の看板があり、それによると
昔、エライ人の姫さんが、炭焼きしてた小汚い青年に会いに来ました。
姫さんの黒アザが有る顔を、この淵で洗ったら、ああぁ~らぁ不思議!!・・・姫の黒アザが消えて絶世の美女になったそうな。
その後、炭焼きの青年と姫さんが夫婦の契りを結ぶと・・金の亀が浮かび出て「エサくれ」と言ったかどうか知らんが、ついでにオシドリも並んで付近を遊んでたそうな。
うむうぅ・・あんまり大きい声で言えんが「夫婦の契り」と来たか・・・こおいう場合は、その「夫婦の契り」内容について想像をしたらアカンのだろなぁ。
金の亀さんも、オシドリも「夫婦の契り」を見ていたのでしょうか・・・と疑問が深まるが、世間ではあんまり、そおいう事は詳しく詮索しないよおです、ともかく契りの記念に「金亀ケ淵」と名付けたらしい。
側に居た越後屋に「喜べ、オマエもここで顔洗ったら、美女になれるかもしれんぞ。淵に飛び込め!!」と笑いながら教えてやった。
九州西国33観音霊場の11番札所「蓮城寺」は、かなり大きい寺ですが、本堂は開いてなく中を拝見できまへん
それなのに撮影禁止の看板が有り、よっぽど内部には撮影されたくないアヤシイ物が有るのでしょう。
尺八参拝を終えて来た道を戻り、山の中腹付近に観音さんが見えます。
普通こおいう観音さんは、無地の白色で着色しないのが多いのですが、この観音さんには色が付いてます。
山を上がるようなので行きませんでしたが、これを書いてる時に調べたら、観音さんではなくて「般若姫」像らしい。
で・・その内容については、なんせ伝説なもんだから多少の誤差は有りますが、アラスジはこんなんです。
前述の「金亀ケ淵」の炭焼きの青年と姫さんの間に、契りを結んだため子供が生まれ、「般若姫」と名付けられて美人に成長したそうな。
その噂が悪代官の耳に・・・あっ、いや・・時の皇子(後の用明天皇)の耳に入り、その後にいろいろとスッタモンダの物語が有りますが、そこは思いっきりハシ折り・省略して皇子と般若姫が結婚しちゃったそうです。
やがて天皇の相続問題が起きたので、オットの皇子は都へ帰っちゃってサヨナラしちまい・・
残された般若姫は「玉江姫」を産み、扶養手当と年金を貰いながらシングルマザーとなって、パートの仕事を見つけて細々と親子二人で仲良く平和に暮らし・・めでたし、めでたし・・
とならず、まだ続きが有るんですなぁ、これが・・・
般若姫は実家に子供を預けて、オットが浮気してねぇか・・・と心配して船で都へ向かいました。
ところがその船が嵐で遭難しちまい、それが元で般若姫は亡くなりますが「瀬戸の守り神とならん。あの山(山口県平成町神峰山)に葬れ」と遺言したそうです。
あっ・・はい・・親族だけの地味な葬式にして派手な葬式は無用、花輪・弔電・香典は辞退して、足がシビレるようなワケのわからん長い経を唱えるだけの坊主達は呼ばんでも良い・・と言ったか、どうかはわかりまへん。
遠く離れた山口県にも内容が一致する同様の伝説が有るので、炭焼きの青年や般若姫などは伝説ではなく実存したのではないか・・という説も有るらしく、興味の有る方は「参照ホームページ」を見てください。
参照ホームページ 山口県平成町HP 「般若姫伝説」
「薬師堂」へ入ってみると、ズラッ~・・と仏さんが立ち並んでましたが、3体ほど薬師様が脳卒中になったのか倒れてました。
管理するために毎日見回ってるのでしょうが、気付かないはずは無いんだけれどなぁ、仏さんにホコリも溜まっており、掃除してないような気がする。
しかし、ここの仁王さんは、なかなかの力作モンだと思います。
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