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2015.9.28 巡礼 2016.9.12 UP
フェリーを下りて高速道路を走り、九州西国33観音霊場の別名「岩戸観音」と言われている14番札所「雲巌禅寺」に着きましたが、高速道路を下りてからは、どえれえ山道でした。
ホントは前回終わった熊本市付近から始めれば良いのですが、この「雲巌禅寺」は金峰山中に有り、他のHPで下調べすると道の勾配がかなりキツイらしく、自転車で上がるのはコンジョ無しなので車で行きました。
「雲巌禅寺」駐車場には、白い大仏さんかと思ったが、近寄ってみると宮本武蔵が座ってる像で「勝ち運を呼ぶ武蔵像」と書いて説明してあります。
おぉぉ・・そお言えば、宮本武蔵がここで「五輪書」を書いたのだった。
下り道を少し下りると「雲巌禅寺」本堂が有り、参拝客はほとんど居なく、堂内に入れたので久々に尺八参拝。
本堂脇の石灯籠から水が流れており、一口飲んでみました。
「雲巌禅寺」本堂で尺八参拝後、宮本武蔵が「五輪書」を書いた「霊巌洞」という洞窟へ行こうと思ったら入場料が必要でした。
入場した建物のガラス戸越しには、良く見かける両手に刀を下げて立っている宮本武蔵の掛け軸等が飾ってあり、おぉぉぉ!!・・ホンマモンの掛け軸じゃろか?
宮本武蔵と言えば「巌流島の決闘」の時に、舟の櫂で木刀を作ったらしいが、その時の木刀というのが飾ってあり、あらっ・・ホンマに今でも残ってたの?・・と、あくまで疑っちまう。
後ろの大小の木刀は、さすがに新しく感じたが・・・
「檜垣女の愛用せし琴のつめ」というのが飾ってあり、「檜垣女」と言うのは知らなかったが、調べてみると・・・
今は昔・・・この付近にバサマが住んでいて、毎日、「雲巌禅寺」本堂脇の水を汲みに来てたらしく、先程一口飲んだ水だと思う。
そいで坊さんが、「こんなトシヨリが毎日タイヘンじゃのう。ところで、あんただれ?」と聞いたら「元は白拍子であり、過去を懺悔して水を汲んでますねん。トシヨリにはキツイですのぅ」」と言って消え去ったそうです。
坊さんが回向してやるとバサマが表れて喜び、懺悔の舞を踊りながら消え去り・・おしまい・・というような感じで「謡曲」になってるそうです。
その檜垣のバサマは琴を引いてたらしいが、拝見すると現在の琴の爪とは、ずいぶん違いますのぅ。(写真が鮮明でなく、すんまへん)
どおやって、この爪を嵌めるのか・・そいでもって現在のよりも爪は長いし・・・
「霊巌洞」へ行く途中に、石仏がゾロゾロと置いてあり、これは江戸時代に設置された物らしく、宮本武蔵が「霊巌洞」で五輪書を一生懸命に書いてた時には無かったらしい。
「霊巌洞」へ来て見る半月型の大きい洞窟で、参拝客も居ないので、洞窟内で「阿字観」を吹いてみると、さすがに本堂よりも良く響いた。
しかしこの洞窟で書き物をするのもタイヘンだったろおなぁ・・
空間が広いので、冬は風がまともに入って寒いだろおしぃ・・
夏は蚊が寄って来るだろおしぃ・・
「霊巌洞」内から外を見ると、前面には樹木が生えており展望が利かず、武蔵の時代には樹木が無く、下界が見渡せたのだろおか?。
樹木が無く展望が利いていたら、ここは修行するのに良い場所だったと思う。
駐車場へ帰る時、「雲巌禅寺」本堂前には団体が参拝しており、入口付近では小学5年生が来てワァワァ・・騒いでおり先生もタイヘンですなぁ。
駐車場の付近に「黒岩展望所」と言うのが有り、せっかくなので行ってみると麓まで良く見えました。
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