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2015.10.4 巡礼 2016.11.1 UP
あの・・最初に言っときますが、本来ならば諫早から先は、長崎方面の「九州西国33観音霊場」札所を順番に巡るのですが、自転車で長崎市内や半島を巡るのはキツイと思い、コンジョ無しなので後で車により巡る事にしました。
諫早市のホテルを朝7時半に出発し、大村湾沿いに佐世保方面へ北上し、国道は車が走り回ってオモロナイと思って、ホテル近くの本名川沿いに自転車を漕ぎ出しました。
しかし、進むべき方向を間違えており、少し行ってから川の流れを見て・・あっ・・逆方向だ!!。
ワッハハハッッ・・トシですねぇ、先入観でこの方向だと思ってたもんだから・・・
越後屋がモンクを言い、はいはい・・すんません・・と謝り、再びホテル近くまで戻って川上に向かって自転車を漕ぎ、さすが川沿いの道は車がほとんど通りません。
「平松橋」まで来たとき、オババが3人して話してたので、挨拶がてら、このまま川沿いに行っても国道へ行く橋があるか?と聞くと、3人とも違う意見を言ってオババ内でモメ初めました。
地図では、最後の国道へ出る橋が「平松橋」だと思ってたのだが、
オババAは「有る」と言い、
オババBは「それは戻らにゃアカン」と言い、
オババCは「この橋を渡って、向こうに見える白い家の所に道があるから、そこは車の通りが少ない」と言います。
トシヨリなもんだからガンコに自分の意見を押し通そうと、だいぶモメていたが、最後のオババCの意見に従って、平松橋を渡って白い家の有る道を行きました。
そこからの峠越えは予想していた通りキツクて、歩道も無く自転車を押し歩き、峠からの下りは早く、麓付近の岩松駅で一休み。
岩松駅では敬老会のボランテイアらしいジサマ・バサマが、駅の清掃をしています。
σ(*_*)なら敬老会にも入らず、たぶん参加しないだろなぁ。
その付近から、初めて大村湾の海が見え始め、自転車を漕いでると遠くに城が見え、後で調べたら「玖島城」というらしい。
大村市内の国道を通るか、少し遠回りになる海沿いの道を行くか迷いましたが、都会の町中を走ってもオモロないので、何か変わった物が有るかもしれんと期待を込めて海沿いの道を行きました。
途中に「森園公園」が有って、それなりの施設があります。
タンボに囲まれたノドカな道を走ってると、コンモリとした木が茂ってる所が有り、そおいう所はたいてい神社か何かが有る所で、看板には「大日堂と峯阿乗の碑」と書いてあり読んでみると・・
「関ヶ原」の戦い少し前の頃、キリシタンが大村領内の神社・寺をぶち壊しました。
その時に「峯阿乗」という寺の住職が難を逃れようとしたが、キリシタンに見つかり殺されちゃって便所に埋められたそうな。
その後、「峯阿乗」の霊が大村家に祟ったので、死体を埋めた所に大日堂を建てたそうな。
昔は堂が有ったが、今は祠に33センチの大日如来の石仏がある。
調べてみるとその頃、大村氏の殿様が日本で初めてキリシタン大名になり、改宗しない者を殺したり弾圧したらしい。
すごいでんねぇ・・評判の悪い新興宗教の脅し文句「地獄へ堕ちる」と言われるよりもオトロシイでんなぁ。
これを調べるまでは「愛」を説くキリシタンが人殺しなんぞするのかな・・と思ってたんですが、どおやら「峯阿乗」さんが殺されちゃったのは、そのような事情が有ったよおです。
そりゃあぁ・・死んだ後も便所に埋められたりすれば、恨みを持って首謀者に祟りますわなぁ。
それで三代藩主が反省努力して、ここに大日堂を建て、「峯阿乗」の子孫が大正時代に碑を建てたよおです。
今までは「隠れキリシタン弾圧」の方がカワイソーだと思って同情を誘いましたが、キリシタンの方も同じような事をやってたんですねぇ・・世の中、調べてみないとわからんもんだ。
キリシタン側も改宗させるために弾圧を行っていたのを今回初めて知り、心の問題である宗教の改宗をするのは難しい事です。
松原駅へ行くため旧道を行くと、それが長崎街道で「松原宿」の看板が有り、古い家も残ってました。
松原駅で一休み、無人駅で広い駅舎内は何も無く閑散としており、出発すると道端に「相撲取りの墓」というのが有りました。
「道の駅・彼杵の庄」で昼頃になったので、何かメボシイ地元の産物を食しようと探しました。
ここら付近は鯨が名物なのか、いろんなパック詰めが売ってますが、大村湾で鯨が獲れたの?・・とまぁ・・詮索は抜きにしてパック詰めを買いました。
「くじらのすじポン」「湯かけ鯨」「くじらカツ」「コノシロ刺身」で、値段はそれぞれ300円位。
昼飯代わりに食べましたが、昔、学校給食で食べた「鯨のフライ」等の味と大部違ってた。
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