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2015.10.4 巡礼 2016.11.9 UP
南風崎駅を出て旧道らしい道を行くと、川の向こう側に巨大な建物が見え、失礼ながら南風崎のイナカから、急にハイカラな建物が見えたもんだからビックリしちまった。
あんな大きな建物なんて、えらい金の有る学校じゃのおぅ・・どこの大学かハイスクールだろう?、さぞかし裏金をガッポリ取る学校だろなぁと思ってると・・はたっ!!・・と思い出した。
おぉぉっっ・・そお言えば、この付近に「ハウステンボス」というハイカラな巨大施設が有ったのだった。
へえぇぇ・・・初めて見たでぇ・・行かないけれど・・・
国道に出ると「ハウステンポス駅」がありました。
早岐駅へ行ってみると、もお少し賑やかな町かと思ったが、あんまりパッとしないが、それでもホテルを探して、飛び込みで聞くと部屋がありました。
ここまでは宿は全てセーフ・・この期間は中国の休日のため宿が塞がってダメかもしれんと思ってました。
ホントは佐世保まで自転車で行けば良いのですが、地図を見ると坂が有りそうで疲れるし、行程が再び早岐付近まで戻って来るので無駄だしぃ・・佐世保で宿が無かったら泣くことになるのでヤンピ。
早岐駅から佐世保までは、計画では汽車で行く予定にしてました。
佐世保へ行き、「海上自衛隊佐世保資料館」だけは見学したかったので、4時ころなので駅からタクシーで行き850円で安かった。
5時で閉館するらしく、受付で7階までエレベータで行き、下へ降りて来るように言われ、内部は撮影禁止でした。
模型とか写真などが飾ってあり、別にそんなに機密事項でも無いと思うが撮らせてくれたほうが広報になると思うのだがなぁ。
窓の展望からは、ちょうど米軍基地の船艇が高架道路のカバーで遮るように作ってあり、中国スパイにバレないようにしてあります。
じっくり見ると半日ほどかかるほどの資料で、4過ぎに「海上自衛隊佐世保資料館」来て5時で終わりでした。
受付でホンマは知っているのだが「海自の写真を見ると「キョウツケ」の姿勢の時、手は握り拳になっているが?」と聞くと、「陸自は指先をのばす。昔の海軍時代から握り拳だった。」と言うが、ホンマかな?
海自よりも先に出来た海上保安庁は、ズボンの縫い目に沿って指先を真っ直ぐ伸ばすのだが・・
旧海軍の「きょうつけ」は、拳を握っていたのか、指先を真っ直ぐ伸ばしていたのか、だれか知っている人が居たら教えてね。
「海上自衛隊佐世保資料館」から佐世保市内を歩いて、九州西国33観音霊場の27番札所「清岩寺(福石観音)」まで行くと、さすがに疲れた。
途中で「ケーキクレープ」なるハイカラな物を売ってたので、シジイとババアが冥途の土産にどんなものか買って食べてみました。
けっこう人気の店らしく、引っ切り無しに客が来てました・・もち、若い衆とかアベックばっかりで、ワシらのようなトシヨリは恥ずかしがって買いに来なかったが・・
札所「清岩寺」付近に来る頃にはもう薄暗く、27番札所「清岩寺(福石観音)」は事前に鳥居を潜って行くのだと調べてました。
「九州西国33観音霊場」の27番札所「清岩寺(福石観音)」は朱色の建物で、もう日暮れて遅いので当然堂内には入れず、参拝が終わってベンチに座ると「ベキッ・・」と座る板が折れちゃった。
あららっ・・壊しちゃったよ・・おい、どおする・・逃げようか・・
見ると鉄部が錆びており、越後屋が「危ないのじゃないか」とわざわざ言ったのにもかかわらず、「大じょぅぶじゃろ」と言って腰掛けたらブッコワレタのでした・・すみません。
もっと頑丈な石のベンチには、羅漢さんが座っておられたもんでして・・・きっと羅漢さんも、ベンチが壊れるのをわかっていて避難されてたのでしょう。
でも、羅漢さんが何となく「ザマアミロ」と言って笑っているようにも見えるが・・気のせいなら良いんけど・・。
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