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2015.10.7 巡礼 2016.12.7 UP
「太宰府政庁跡」は広大な草地で特に建物が無く、家族連れが休んでいます。
少し行くと「太宰府展示館」が有り、タダだったので入りましたが、失礼ながらあんまりオモロイ物が無い。
入ると参観客に説明する人が居るよおですが、長くなると思い、なるべく目を合わさないようにして勝手に見てました・・すみません。
九州西国33観音霊場の札所「観世音寺」の看板が有り、その正面に土塀の寺に向かって真っすぐな道があります。
それが札所寺だと思って行ってみると入口にゴッツイ字の石標があり、おぉぉ・・さすが「九州西国33観音霊場」33番寺。
しかし寺の看板をみると「戒壇院」の説明がしてあり、はて?・・観世音寺・専用で「戒壇」を持っているのかな?・・と思ったが、どうも札所ではないようです。
「戒壇院」横の細い道を行きましたがわからず、戻ってくる時に側の寺境内へ入ってみると、そこが九州西国33観音霊場の33番札所「観世音寺」でした。
それなりに参拝客が居て、尺八を吹いて参拝してたら後ろに人が居ました。
越後屋に聞くと、尺八が終わるまで待ってたらしく、やっと終わって堂へ近寄ろうとしたら、尺八を置いて写真を撮ったもんだから、行くのを止めて待ってたそうで、知らない事とはいえ、すんまへんでした。
大宰府天満宮へ、ついでに寄ってみました。
観光客がたくさん歩いており、華やかな着物姿の若いネーチャンもチラホラと歩いており、へえぇぇ・・今時着物姿なんて珍しいなぁ。
しかし、よく見ると仕草・顔付等からどうもアジア系の外国人らしく、やはり日本人の着物姿とは、ちと雰囲気が違う。
「大宰府天満宮」境内に入ると、しぶい着物を着たオバハン二人居て、これはさすがに日本人だとわかり着慣れている感じがします。
オバハンがお互いに写真を撮りっこしていたので、「二人で一緒のを撮ってあげましょうか」と言ってみると、ちゃんと日本語で断られました。
話は変わりますが、実は越後屋もチビッと琴をやっており、琴といえば着物というイメージが大きく、実際、発表会・演奏会等には着物姿が当然のよおです。
もっとも、最近は統一した着物・洋服での出演団体もあるよおですが・・。
で・・越後屋は着物を一着しか持ってまへん・・なんせ、ワシの稼ぎが悪いもんでして・・。
越後屋はホントは琴を習いたいのですが、発表会の時に着る着物が無いので、いつも出演辞退をするのに気が引け、転勤を機会に琴を習いに行かなくなりました。
着物なんて一着あればエエんでねぇか・・と思ったのですが、毎回同じ着物で出るのは恥ずかしい事らしく、そお言えば琴の皆さんは毎回違う着物を着てました。
すまんなぁ・・稼ぎが少ない亭主を持って苦労かけるなぁ。
もっと傘張内職に精を出して、着物の一つくらい買ってやれば良かった。
そお言えば一回だけ出た発表会には、髪飾りを自分で作ってたもんなぁ・・カワイソーに・・。
琴をやってる人に聞くと、やっぱり着物を着るのが楽しみで嬉しいと言い、そおでっしゃろなぁ・・女性の方は着たいだろなぁ。
ただ・・越後屋のように着物が無いので、何らかの理由を付けて出演辞退をする人や、琴を止める人もいると思い「両刃の剣」のような気がする。
反対に琴の方から「発表会等で尺八を吹く時には、着物を着ないのですか?」と聞かれた事が有り、なんせ、いつも同じような安い背広で出演してたもんでして・・・
「ええ・・はい・・あのその・・着物を持ってないもんでして・・
それと尺八を吹く人は、着物・袴姿でないとアカンという先入観を無くしたいと思い、背広を着てます。
それに別に着物・袴を、そんなに着たいとも思わないので・・」と言い訳してます。
聞くところによると琴古流尺八の人は着物・袴着用が決まってるらしく、都山流尺八は特に着物にこだわってないと聞きましたが、どおなんでしょうか?注意して拝見すると、そんなような気もします。
「九州西国33観音霊場」と関係なく、着物姿を見たので、ついついクダラン事を想い浮かべました・・・すみません。
太宰府天満宮でお賽銭をあげて、参道の茶店でカキ氷を食べました。
そこに置いてあるノートを、パラパラと見ると絵のような物が描いてあります。
花のような・・植物のような・・幾何学的というか・・何というか・・
右下に「おー新作、毎年見るのワクワクしてます」
左下に「ありがとうございます。ただのラクガキです」
と書いてあり、毎年書いてるのでしょうか。
よぉ~わからん絵だけれど、線に迷いが無く、シロウトでは描けないような気がする。
二日市駅の駐輪場で自転車を預ける時に、小銭入れが無いのに気づき、太宰府天満宮で落としたらしい。
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