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 東尾岐観音堂、「御蔵入33観音霊場」紀行文  巡礼日 2014.9.13     掲載日 2015.2.15


無惨にも崩れ・倒壊している8番札所「東尾岐観音堂」/御蔵入33観音霊場記

「御蔵入33観音霊場」紀行文     「坂下」付近、「御蔵入33観音霊場」紀行文    「西沢」集落、「御蔵入33観音霊場」紀行文

 「水沢」集落を過ぎて、「坂下」の分かれ道の坂を少し上がった所で雨がパラパラ・・と降ってきました。

 あちゃあぁ・・もおチョット雨が降るのを持ってくれんかなぁ・・と思ったが、雨が強くなったのでカッパを着て走り出し、カーブを曲がった所に人家があったので、そこの木の下で雨宿りをしました。

「西沢」集落・庚申塔、「御蔵入33観音霊場」紀行文      「御蔵入33観音霊場」紀行文      「大平」集落、最初の家、「御蔵入33観音霊場」紀行文

 地図を見ると「西沢」集落のよおで、予定では「魚淵」からここまで地図の破線道が有り、道が無くなっていると聞いて断念した箇所です。

 雨宿りしながらモクを吸って周りを見渡すと、少し離れた所に庚申塔のような石碑が並んでます。

 庚申塔つうモンは、村外れの出入り口付近に設置されているので、たぶんそこが地図に記載されている「西沢」側の破線道だと思う。

 雨が止んだので出発し、その先からは少し道が荒れており、やがて集落が見えたので「中臼」集落かと思ったら行き止まりで、ここが「大平」集落でした。

 地図に記載されている、途中の「中臼」集落は廃屋さえも無く、完全に村は消滅したよおです。

 下調べでは、「御蔵入33観音霊場」の8番札所「東尾岐観音堂」が有る「大平」集落には、一件だけ人が住んでるらしく生活はタイヘンだろなぁ。

 でも、「大平」集落を見た感じでは家屋が数件、壊れもせずに、ちゃんと建っており管理もされてるよおです。

東尾岐観音堂入口、「御蔵入33観音霊場」紀行文     東尾岐観音堂・参道階段、「御蔵入33観音霊場」紀行文     東尾岐観音堂入口階段、「御蔵入33観音霊場」紀行文

 行き止まりの家前でバサマが草取りしてたので「観音さんが有ると聞いてますが・・」と聞くと「あの階段を行ったところ」と教えてくれました。

 行き止まりの所から細い道を行き階段を上がると、草が茂ってますが、それでも何とか道はわかります。

 堂の屋根が見え、御蔵入33観音霊場の8番札所「東尾岐観音堂」は壊れてツブレたと下調べしてたが、ちゃんと立ってるでぇ・・と思いながら近寄ると、やはり無惨にも崩れて倒壊していました。

東尾岐観音堂と石仏、「御蔵入33観音霊場」紀行文        東尾岐観音堂、「御蔵入33観音霊場」紀行文

 近づいて見ると「東尾岐観音堂」は、それなりに境内も広く大きい堂だったよおです。東尾岐観音堂、「御蔵入33観音霊場」紀行文

 参道入口の石仏には、毛糸で縞模様に編んであるマントと帽子を被せてあり、先程のバサマが昔を懐かしみながら、夜なべ仕事て編んだのでしょうか・・なんか哀愁を感じさせますねぇ。

 バイクの所へ戻ってバサマに礼を言ってる時に、ちょうどジサマも付近の草刈りが終わって上がって来ました。

 聞いてみると「4年ほど前に東尾岐観音堂は倒壊して、今でもたまに訪ねて来る人も居る。この村で観音堂を維持してたが、倒壊してしまったら自分一人では、どうしょうもない。」と言います。「大平」集落・最後の老夫婦、「御蔵入33観音霊場」紀行文

 雨の事を聞くと「西沢」で雨が強く降って雨宿りしましたが、こちらではパラッ・・と降った程度らしく、やっぱり場所によって違うのですねぇ。

 二人とも、もう70歳を過ぎてると思い、どちらかが倒れたら残された人はどうするのかなぁ・・と思ったが、気の毒だから聞かなかった。

 ちなみに国土地理院の地図を見ると、最後の一件だけ住んでる家から堂へ行く途中などには家屋記号が記載されていますが、なあぁ~んにも家屋は有りません。


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