HOME > 遍路・巡礼 > 「御蔵入33観音霊場」地図と目次 > 7 イザベラバードの道
巡礼日 2014.9.13 掲載日 2015.2.16
「会津高田」まで行って昼飯を食べ、ガソリンを入れて「御蔵入33観音霊場」9番札所と思ってる「長福寺」へは、すぐにわかり、この付近は「会津33観音霊場」で巡ったような気がする。
「長福寺」は新しい寺だが無人かな?
境内敷地で御蔵入33観音霊場の9番札所「永井野観音堂」を探したがわからなく、本堂の戸が開いたので、久々に堂内で尺八を吹くと響きが良い。
食事してすぐに動いたので、ここでモク吸って少し休みました。
後でわかったのですが、この「長福寺」は「御蔵入33観音霊場」9番札所「永井野観音堂」ではなく、同名の間違った寺でした。
事前調査した時のネット地図には、この寺箇所に印が有ったので、地名とは違うなぁ・・と思いながらも時間が無く、そこだろおと思ってたのです。 (地図の「赤丸」位置、正しい位置は青丸箇所の寺です ) m(_ _)mスンマセン・・・
どおりで、納札とか千社札が、ベタベタと貼ってないなぁ・・と、モク吸いながら思ってたんです。
2015.11.13 巡礼 2015.11.16 訂正
ホンマの「御蔵入33観音霊場」の9番札所「永井野観音堂」がある「長福寺」は、会津高田の国道401号線沿いに有りました。(上記地図の「青丸」位置)。
国道と言っても、これか国道?というような狭い道でしてなぁ(地図の赤線)。
目印としては、長い白塀の寺で境内にはイチョウの木が立っており、その側の堂が札所「永井野観音堂」です。
時期的に銀杏が落ちており、もったいない・・・地元に住んで居れば拾いに来るのだが・・
ところで、この観音堂には看板が無く、ホンマにここが札所?と疑ってました。
境内をウロついて札所である証拠を探していると、倉庫横のガラクタと共に古い看板が捨てて?あり、それには、しっかり「御蔵入九番観世音札所 長福寺」と書いてありました。
何で看板を捨てたのじゃろ?・・これが無かったら、まだ疑ってたでぇ。
県道330号線を「市野峠」へ向かい、国土地理院の地図では、「市野峠」付近は破線で記載されており、ネットで見る他の地図でも同様に破線で記載されており、破線で記載されている道の場合は、通れない可能性が有ります。
それでもネットで下調べすると、「大内ダム」から市野峠を自転車で越えた記事が有ったので、通れると判断しました。
麓の「市野」集落入口に説明看板が有り、それによると、ここは昔の宿場街で、明治時代に「イザベラ・バード」と言う英国のオバハンが旅した道だと書いてあります。
おぉぉ・・・そお言えば以前、会津霊場を巡るため下調べした時にも、そんなような事が書いてあったなぁ。
「市野」集落を通ってみると、昔の建物の面影を良く残しており、赤いトタン屋根の代わりに茅葺き屋根だったら、昔の宿場街にピッタリの情景です。
たぶん昔はこんな風情だったのでしょうが、この後「大内宿」へも寄りましたが、こちらの「市野」集落の方が昔の雰囲気が有るように思う。
「市野」集落を過ぎて少し行くと道端に「イザベラバードの道(日光街道)」の標識杭が立っており、旧道らしい道に草が茂ってます。
市野峠へ行くまでにも、標識杭が有りましたが、あんまり歩く人が居ないためか、草刈り整備をしてないよおです。
これを書いてる時に「イザベラバード」の事をネットで調べてみると、「横浜」を出発して「会津」から「新潟」、その後「青森」までの東北地方縦断と北海道の一部を旅行しているのですねえ。
その頃の時代は、西南戦争で西郷隆盛が戦死しちゃって、会津は官軍に破れてカワイソーな仕打ちを受けてる最中で、そのような頃に日本人の通訳一人と、馬に乗った英国オバハンが旅するとは大したモンです。
しかし、オバハンが旅した行程を眺めてみると、何となくその道を歩きたくなって来たので、さらにネットで調べてみると、歩くコースは本州側よりも、北海道の方が多く紹介されてるようです。
惜しいなぁ・・関係する各自治体・県が連帯し「一本の道」として広報や整備をすれば、「塩の道」に匹敵するほど多くの人達が歩くと思うのだが・・
県道を上がって行くと、途中に「地蔵清水」があり、水がドンドコと流れており、「市野峠」の道はだれも通らないと思ってましたが、一台だけ車が通り過ぎて行きました。
市野峠を越えて大内ダムまでは舗装道路で車も通れましたが、地図は何で破線のままにしておくのじゃろ?・・国土地理院は書き直すのが面倒くさいからかな?
市野峠にも案内看板があり「雄大な市川峠(市野峠の事らしい)を登った・・平野は深い藍色に包まれ・・遠くそびえる山々は深雪を頂いている」とイザベラ・バードは紀行文に書いたらしい。
残念ながら市野峠からは、樹木のため展望が利かず、途中でチラッとだけ遠くの山々が見えました。
しかし、イザベラ・バードも自分の死後、自分が書いた紀行文が日本のネットで紹介されてるなんて思わなかったろおなぁ。
ちなみに数年後に「イザベラ・バード」が歩いた道を、ミニバイク「チョイノリ」で栃木より青森まで走り、また新潟県側の十三峠は実際に歩いてみました。
その様子は「イザベラ・バードの道」として掲載していますので、よろしければ御笑読ください。
いずれにしても、この市野峠越えをしなかったら、「イザベラ・バード」の事も知らず、またその道をたどる旅行もしなかったでしょう。
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