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巡礼日 2014.9.14 掲載日 2015.2.21
「十文字」付近は一直線の道路、快調にバイクが走り・・走れ「チョイノリ」!!・・精一杯でる最高時速35km/hくらいで・・・ (^O^)。
「御蔵入33観音霊場」の15番札所「徳昌寺」は、「会津田島」の街並みを曲がった道の正面に有り、杉と門構えは歴史を感じさせます。
ときおり「バアァ~ン~・・」と大きい音がして、近くの山で猿か猪除け対策の爆音でしょうか。
山門を潜り石畳の正面に本堂が有り、おぉぉ・・風情が有り、ええですなぁ。
しかし、本堂を鉄パイプが囲ってあり・・あらっ?・・・工事中?・・入れないの?・・横を見ると、同規模の本堂?が新しく出来てます。
観音堂が別に有るのかと探したが、わからんので、新しい本堂と思われる所で参拝したが、戸は閉まっており開かなかった。
なお、このページの写真は、全体的に暗くボヤッ~としており、安物のデジカメで夕暮れ時に撮影したので、写真が暗く画像処理してあるためです。
芸術写真と思わず(そんな人は居ないと思うが)、参考写真の程度として見てください。
14番「薬師寺」は「会津田島」の町中にあり、これもすぐに場所がわかりました。
正面の堂が観音堂かと思って入って行くと、境内には他にも2つの堂が有ります。
一つは「阿弥陀堂」の看板が有り、もう一つはチッコイ八角形の堂だったので「経倉」か何かそのタグイだろおと思い、最初に見た正面の堂が観音堂と思って行くと「薬師堂」と書いてありました。
あらっ・・違うのね、あっちは阿弥陀堂だしぃ・・観音堂はどこ?・・わからんので本堂で参拝しようと思い、チッコイ経倉と思ってた堂をふと見ると、柱に納札が貼ってあります。
近寄って堂を良く見ると、ゴテゴテと千社札が庇に貼ってあり、しっかりと「御蔵入三十三観音札所 第十四番 薬師寺」と看板が掛かっているじゃありまへんかぁ。
堂の大きさに応じて看板も小さかったので、わからなかったのですが、これが観音堂でしたが、もおちっと分かりやすく立看板でも置いて欲しいなぁ。
σ(*_*)の場合は偶然にも柱に貼ってある納札を見つけれたので良かったが、「御蔵入33観音霊場」巡りしてる人の中には、たぶん探しきれず、適当に正面の「薬師堂」で参拝した人も居ると思う。
16番札所「慈恩寺」の場所がわからなかったので、人に聞くと自分の地図に記載していた寺位置が違っており、あららっ・・。
慈恩寺へ行ってみると、正面建物に納札が貼ってあったので、すぐに観音堂だとわかり、戸が開くかな?・・と思ったら、すんなり開きました。
観音堂内部に大きな白いヌイグルミの「招き猫?」が正面近くに置いてあり、何となく微笑ましい。(一番上の写真)
参拝が終わって尺八の手入れしてると、客を送り出して外に出てきた寺の奥さんが「先ほど吹かれていたのは、「ホルン」を吹いてたのですか?、良い音色でした。」と誉めてくれます。
ふうむうぅ・・尺八の音だけを聞くと「ホルン」のようにも聞こえる人も居るのだなぁ。
それにしても「ホルン」という楽器を知ってるだけでも、この奥さんは音楽をやってるのだと思う。
今日の巡礼は、この慈恩寺で止めるつもりだったので、奥さんに夕食を買うためスーパーの場所を聞くと、教えてくれた後「今日は、どこに泊まるのですか」と聞かれた。
「この付近に有る「交流館」で野宿するつもりですが、そこに庇は有りますかね?」
奥さんは、えっ?!・・どこかの宿に泊まるのかと思ってたが、この御時世にこんな小汚いジジイが、野宿しながら「御蔵入33観音霊場」を巡ってるなんて・・という顔されて「庇は有りますが・・・ここでも良かったら野宿して良いですよ。」と言ってくれます。
チラッと境内を見て、トイレが外に有ればお言葉に甘えるつもりでしたが、無さそうなのでトイレを拝借する度に寺内部へ入るのは、お互いに気を遣うと思い「ありがとうございます。 でも、お互いに気を遣うと思いますので・・。」と断りました。
たぶん昔の四国霊場も、こんな感じで寺で野宿させてくれたのでしょうが、今では野宿禁止が多いそおです。
なんつうても「四国」=「接待」という風にマスゴミ・メディアが盛んに宣伝するもんだから、それが当たり前なのだと思ってる連中が多くなったから、そりゃあぁ~野宿禁止にもなりますわなぁ。
しかし全国各地を遍路・巡礼してみた経験から言えば、四国以外の地では、まだ野宿者には優しく寛大なような気がします。
野宿場所の下見をしてからスーパーで買い出しをして、刺身が安かったので買ったが、ちと量が多過ぎた。
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