ええっとおぉぉ・・ここからは「田名部海辺三十三観音霊場」巡りとは全く関係ありまへん。
下北半島へ行く途中や、家へ帰る途中で立ち寄った青森近辺観光地などの事ですので「おまけ」として掲載しましたので、ご了承ください。m(_ _)m ははあぁぁぁぁ~・・・・っっ・・
下北半島の霊場へ行く途中に「新郷村」というのがあり、そこに「キリストの墓」が有ります。
そおです、キリストは日本で死んでるんですがなぁ、どおじゃ、異教徒どもめ、まいったか。(^O^)ワッハハッハ・・・と笑ってどうする・・・
σ(*_*)は、こおいうウソかホントか、わからんような話しが、もんのすごぉ~く大好きで、「キリストの墓」近くへ行く機会が有れば是非寄りたいと思ってた場所です。
東北・八戸自動車道の「一戸」で降りて国道は良かったのですが、「三戸」付近から「新郷村」へ向かって県道45号線に入ると、もんのすごい山道のS字カーブの連続・・・舗装はしてあったが・・
もんのすごい山の中へ入って行くので、運転しながら、こんなのだったら遠回りでも良いから国道で行った方が良かったかな・・とも思った。
新郷村に入って「キリストの墓」の標識が有り、側には駐車場も整備され案内図も有ります。
ちなみに駐車場から墓へ上がる坂道は、キリストさんが十字架を担ぎながら「ヨッコラショ・・」とよろけながら歩いた坂道をイメージしてるとか、どうとか・・
「キリストの墓」へ来るまではイメージ的に、ひなびた丘の上に土饅頭がポツンと有り、十字架でも有るかと思ってましたが、実際に行ってみるとキレイに整備され「キリストの里公園」となっており、階段を上がると土饅頭が二つあります。
「キリストの墓」は一応イメージ通り、丘の上の土饅頭でしたが、予想よりも立派過ぎ、もおチット雑草が生え茂り、朽ち果てかけてる方が情緒が有るんだが・・・
2つの塚には、それぞれ名前が有り「十来塚(キリストの墓)」「十代塚(イスキリの墓)」となっており、どちらも同じくらいの大きさです。
看板の説明書きによると・・・・
イエスキリストは21才の時、日本に来て12年間神学を勉強して33才の時ユダヤに帰って布教しました。
当時のユダヤは、今で言う旧約聖書を信じてたもんだから、皆さん御存知のとおり、イエスに対して「あんさん、何言うてまんねん」と、寄ってたかって、どつき回して袋叩きにしイエスを磔にしちゃいました。
そこで話しが終わったら、面白くないので続きが有りますがなぁ。
その磔になったのは、実はイエスの弟「イスキリ」で、本物のイエスは日本に逃れ来て、当地で106才まで生きたそうです。
σ(*_*)が美青年の頃、「何とかの塔」と言う宗教団体から勧誘を受け、だいぶマジメ?に1年ほど勉強したので、キリスト教関係は少しはわかるつもりです。
ただし「何とかの塔」が発行している冊子に記載されている内容に誤りが有ったので、証拠の本を見せながら、そこを突っ込み「どうなんじゃ?訂正するんか?、それともこの冊子は精霊が書いたと言うのはウソなのか?」とキビシク問い詰めたら、もう来なくなっちゃった。(^O^)ナハハハ・・・
そお言えば「何とかの塔」の人に、この「キリストの墓」の事を話したら、もんのすごく不愉快な顔してたなぁ。(^O^)ケケケ・・・
「キリストの墓」の付近に「イスラエル国エレサレム市と友好の碑」が設置されてます。
しかし、イスラエルは旧約聖書を忠実に守る事を信条としており、目の敵にしてる新約聖書の関係地に何故に「友好の碑」を設置したんじゃろ?
イスラエルは「旧約聖書に書いてある約束の土地で、オラとこの土地じゃ」と言って、昔から住んでいたパレスチナ人を追い散らした国なのに、新郷村の伝説を認めているんじゃろか?
公園内に「伝承館」と称する資料館は、教会風の立派な建物で、受付のオバチャンに館内写真撮影はOKか?と聞いたら、手前の郷土資料の方は良いが、奥の方はチョット・・と言います。
うむむうぅ・・郷土資料の方はどおでもええが、ウソかホントかわからん伝説の方の資料を撮りたかったのだがなぁ。
禁止だから守って撮らなかったが、でも撮りたかったなぁ。
「伝承館」を出ると、受付のオバチャンと、近所の人らしい子供連れのお母さんが話をしてます。
少し話しをしましたが、お母さんは、なんとか標準語を話そうとする努力が、もんのすごくわかる東北弁でした。
話す内容の意味はわかりましたが、やっぱりイントネーションが標準語とは大部違い、素朴な感じがする東北弁を聞いて、つくづく改めて青森へ来たなぁと思った。
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