今回巡った田名部海辺33観音札所の中で、一寺だけ本堂の扉に「正面玄関からお参りください。 各位 山主 」と書いた紙が貼ってありました。(写真参照)
この貼り紙を外さない限り、扉は開かないシステムになってるらしく、どうしてもこうしても扉を開いて欲しくないよおです。
まぁ・・信心が足りん人間だから、どおしてもこおしても本堂の中へ入らなければアカン・・という気持ちはサラサラ無かったので、その貼り紙の前で尺八を1曲吹いて参拝しました。
参拝中、境内に居るオハハンが「玄関から行けば、入れるよ」と越後屋に教えてるのが聞こえ、参拝後に聞くと2人のオバハンから次々に教えられたらしい。
ううむうぅぅ・・・どうしても中に入りたかったわけでは無いが、2人ものオバハンがわざわざ親切に教えてくれたのを無視するのも悪く、これも「言施(布施の一つで思いやりの有る優しい言葉)」だと思い玄関へ行きました。
「ごめんくださあ~ぁい」と大きい声で玄関内で案内を乞いましたが返事が無く、間を置いてもう一度声を掛けたのですが返事がありません。
どおしょうかなぁ・・・普通だったら案内を乞うても出て来なかったら、この寺とは「縁」が無いのだと思って帰っちゃうのだが・・。
しかし、オバハンが、せっかく親切に教えてくれたのを無にするのも悪いしなぁ。
貼り紙の内容からして、勝手に上がって参拝しても良いようにも取れるが・・・
玄関で待っていても聞こえないのか留守なのか「うん」とも「すん」とも返事が無いので、勝手ながら玄関近くに有る廊下の曲がり角まで数歩だけ中へ入って、もう一度「庫裡」へ向かって声を掛けました。
やっぱり返事が無く、留守なのかな?
間をおいて、もう一度声を掛けたら、やっとジサマとバサマが足音も荒く出て来たので、「おじゃまします。参拝させてください。」頭を下げて丁寧に言ったのに、ジサマがいきなり「どこから来た!!」と不審者扱いのキツイ怒鳴り声。
はっ?・・何を怒ってまんの?、 こっちは何度も声を掛けて、辛抱強く待っていたのにぃ。
廊下まで入って来たのが気にいらんのかな?、あの貼り紙は、どおいう意味?
それにしても、この「どこから・・」という問いに、新潟からと言って良いのか、今日の出発地を言えば良いのかいつも迷います。
まさか「そこの玄関から入って来ました」と素直にありのまま言ったら、こいつは「おちょくっとるのか」と、ますますトサカに血を上らせる結果になると思い、当たり障りのないように「旅の者です」と冷静に答えました。
すると「何しに来た!!」と再びドナリ声。
おいおい・・寺へ来た者に対して「何しに来た」は無いじゃろがぁ。
まさか葬式の依頼をしに来たような風体はしてないだろおしぃ・・それとも電波の押し売りをするNHKだと思ったのじゃろか。
そりゃあぁ・・σ(*_*)は人相が悪いよ。はい、認めます、越後屋に言わせればサングラスかけると、そのスジの人に見えると言われてるから。
ジサマの言動が、いかにもケンカ売ってるようでもあるが、善意に解釈すれば、そのスジの修行者に対して「問答」を試み、こいつはどれ位の修行をしてるのか見極めようとしているのかとも思えます。
一瞬、四国遍路をして出会った庵の坊さんと「問答」した事を思い浮かべ、後で聞くと越後屋も同じ事を思ったらしい。
ふむうぅ・・「問答」を試みてるならば、かなわぬまでも精一杯、相手をしても良いが・・・それにしても失礼な言い方だなぁ。
「問答」ならば、ここで素直に「観音さんを参拝に来た」と答えると「何という観音さんか?」と聞かれちゃうのでマズイ・・
なんちゅうても、この寺に在る観音さんの名前なんて、気にも留めてないので全く知らんのだから・・(^O^)ダハハハハ・・・
そこで「何しに来た」の問いに、答えて曰く「参拝に来ました。」
すると「ワシは80才で耳が遠いので、よお~聞こえん。何を参拝しに来たのか?」と小馬鹿にしたような薄笑いしながら、わざわざ耳を近づけます。
ウソつけぇ~・・・さっきから、ちゃんと正確に受け答えをしてたじゃないか。
σ(*_*)は片耳が少し難聴なので、耳が悪い人は、どおいう風に聞こえるかわかるんやでぇ。
難聴や耳が遠い人は、相手の言ってる事が、よぉ~聞き取れんから「聞き返す」のが特徴で、あぁたは先程から正確に受け答えして聞こえているじゃないか。
それにしても失礼なジサマだなぁ、他の人にもいつもこんな風に相手してるんだろおか?。
耳が悪いと言うならば仕方がない、薄笑いしながら差し出してるジサマの耳元すぐ近くへ寄り、思いっきりドスの利いた大声で「巡礼してます。」と答えました。
これでわからず、その後もシノゴノと、イヤガラセのような「問答」を続けるならば、このジサマから教わり得るべき事は何も無いと思って帰るつもりでした。
だいたい普通の寺と違って、観音霊場札所の寺なのだから「参拝に来た」と言えば、何を参拝に来たのか黙っていても常識でわかるはずなのにぃ。
耳元で大声を出したもんだからビビッたのか、「そんなら、そうと早く言えばよいのにぃ。」と離れながら言います。
よっぽど、この時に「この寺の流儀・礼法は、初めて来た人に対して「どこから来た」「何しに来た」「何を参拝するのか」と声も荒く尋ねるのが、当山あるいは下北・田名部海辺三十三観音霊場の作法なのか?」と、今度はこちらからキツク問い正してやりたかった。
ジサマが離れた所から「納経帳は?」と聞くので、おいおい・・そんな遠くに居たら耳が悪いので聞こえんのじゃないのかと思い、これまた大声と言うよりもドナリ声に近い声で「やってません。参拝だけです(キッパリ)」と言ってやった。
「ケッ・・あんたのような人が寺に居て、イヤな思いをするから納経帳を作らないんじゃ。」とホントは言いたかったが、σ(*_*)は紳士なので思うだけで口には出さなかった。
「アンタの家の宗派はわからんが、ワシ所は何宗でも良い・・ウンヌン・・どうのこうの・・・」
宗派を聞かれたら「普化宗」だと答えてやろおかと思ったが聞かれず、ジサマが勝手に話してるのを無視して、アサッテの方を向いてました。
あんまり話しが長いので途中で「参拝して良いですか」と言うと「どこで参拝するのか、わかるんか?」とまたワケのわからん事を言い出します。
「本堂で参拝させてもらいます。」「本堂には居ない。」
はっ?・・・・少なくとも本尊さんは居るじゃろおにぃ、参拝対象は、別に観音さんでなくても本尊さんでもええと思ってるのだが・・・
それともこの寺の本尊さんは、金に困ってどこかへ売っ払っちまったので不在なのか?
「居なくても良いですから、本堂へ行って参拝させてもらいます。」
もうこれ以上、アホと話したくないので、強引に言ったら「待っておれ、今案内する。」
本堂で賽銭箱に賽銭を入れると「無理して入れんでも、ええ」と物わかりの良さそうな事を言うが、ケッ・・あんたに賽銭をやるのでは無い、ここの仏さんにあげてるんじゃ。
参拝しようとして座ると「観音さんは奥の方だ」と言ったが、もうここまで来たら観音さんなんかは、どおでもええんじゃ、サッサッと早くこのジジイと別れたいので、「いえ、ここで、けっこうです」と言ったが、さらに強く勧めるので仕方なく付いて行き、連れられて奥の位牌堂の所へ行きました。
位牌堂の正面に仏さんやら何やらが飾ってあり、左端のチッコイ観音さんが先程からシノゴノと揉めていた田名部海辺33観音霊場の観音さんでした。
その前でジサマが観音さんのアリガタイ説明をし始めたが、別にそんな話しなんか聞きたくもなく、願わくば一時でも早く、このジサマとサヨナラしたいので、話しが一息ついた時に、すかさず尺八を吹いて参拝し始めました。
ジサマは、な・・何を始めるんじゃ?、こっちはまだ説明が終わっておらん・・・と、もっと続きを話したそうな顔していたが、無視・ムシ・・・・やがて、どこかへ行っちゃった。
それはそれとして、この位牌堂は周囲が囲まれているので響きが、もんのすごく良かった。
参拝が終わって本堂に戻ると越後屋とジサマが話してます。
話が途切れるまでジサマの顔をニランんだりしてたら、話が一区切りついたので、すかさず「ありがとうございました。」と大声で礼を言って後ろも見ずに玄関から出ましたが、外へ出てから、ふと・・あらっ!!そお言えば納札を置いて来るのを忘れちゃったなぁ。
引き返して納札を置くのもシャクだし・・かと言って本堂の戸の隙間から入れるのもアレだと思ったが、相手がどう出るかわからんが、もう一度引き返して玄関で案内を乞いました。
今度はすぐにバサマが出てきたので「納札を置くのを忘れたので、置かせてください」と言ったら、そんな事で、わざわざ?・・というように「ああ・・」と複雑な顔して言い、バサマにしてみれば、ケンカの続きをしに来たのかと思ったのじゃろなぁ。
後で越後屋が言うには、廊下で大声出して揉めていた時に、ジサマの横でバサマが困ったよおな顔して立ってましたが、その人が境内で「中に入れる」と教えてくれたオバハンの一人だったらしい。
ここの観音さんも困っているだろなぁ・・こんなジサマが管理してるんだから、タイヘンだと思う。
このゴタゴタが尾を引いて、次の2カ所の札所寺では曲を途中で失敗しちまい、まだ修行が足りまへんなぁ。
今まで全国各地の霊場を巡ってきましたが、今までこのような不愉快な「問答」をしたのは唯一、この寺だけでした。
あえて武士の情けで、どこの寺か寺名は書きません・・ホントは書いてやりたいのだが・・後日、σ(*_*)とこの檀家寺の坊さんが、お盆に家へ来た時に、この件を話して御意見を伺いました。
まず、本堂が閉まっていた事に対しては「あちゃあぁ~・・・・」
本堂は、いつだれが来ても良いように開けておき、自由勝手に入っても良いのが、何宗の寺であっても常識らしい。
次いで「どこから来た」「何しに来た」「何を参拝しに来た」と言うのは「そりゃ、(寺が)アカンなぁ・・・」
ただ一つ、こちら側の落ち度かもしれんなぁ・・と、気になっていた点が有ったので聞いてみました。
「寺というのは有る意味、公共の施設だと思います。
玄関で声を掛けても出て来なく、貼り紙もしてあったので、勝手に玄関を上がり数歩だけ中に入って声を掛けたのですが、その数歩の行為が相手の怒りを買ったのでしょうか?
当然、個人の家では絶対にそんな事はしませんが・・」
「ふうむぅ・・そおかもしれまへんねぇ。
言われるように、寺は公共の施設という一面も有ります。
私の所では、本堂は自由に勝手に入ってもらっても良いようにしてありますが、庫裡の方へ行く廊下には防犯上のため鍵を掛けており、そこは公私の区別をつけてます。」
「あっ、やっぱりねぇ。」
「しかし、玄関から声を掛けても、出てこないと言うのはねぇ・・・聞こえにくいのならば、ブザーでも付けて置けば良いのにぃ。」
「そおなんですわ、越後屋も「玄関にブザーくらい、付けておけ」とブツブツ言ってましたがなぁ。(^O^)」
そこで問題になるのは貼り紙の文面で、勝手に入っても良いか否かの解釈を聞くと
「実際にその場に立たないと(雰囲気とか何やらで)何とも言えないが、常識的に玄関で声を掛けて入るのが普通だと思います」との事でした。
これを読まれた方は、この寺へ行った時には、どのようにされるでしょうか?
1 相手が出て来るまで、玄関で正座して1時間でも2時間でも待つ。
明日の朝になっても良いから、ズウ~ッと待ち続ける、これも修行の一つじゃ。
2 貼り紙に「玄関から入れ」と書いてあるから、文面通りに勝手に入って参拝すりゃ、ええんじゃ。何を遠慮する事が有るか。
3 そんな寺へ行くな。
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