信濃33観音霊場の打ち始め22番札所「仲仙寺」への道筋を行くと、木が茂ってる道と、小学校跡らしい門の道と二股に分かれており、まさか学校跡を通って・・じゃ無いわなぁ。
木が茂っている道を行くと、杉の大木に鳥居のように注連縄のような物が掛かっており、こおいうのは初めて見た。
ここら付近の風習なのかもしれませんが、御幣が何本か刺さっており、垂れ下がってる縄の編み方は同一で無く、そおいう細かい事にも何か深い意味・云われがあるのでしょうか。
「仲仙寺」の鳥居?を潜った道端に、今回初めて見た道祖神が有り、老爺が老婆の肩に優しく手を掛けています。
仲良しですなぁ・・σ(*_*)は、そんな恥ずかしい事を「やれっ」と言われても、よぉ~できんが・・きっと道祖神も、お互いに内心イヤヤなぁ・・と思ってるのだけど、ポーズを取れと言われて、仕方なく仲良くしとるフリしとるのかもしれません。
実は、この「信濃三十三観音霊場」巡りをする、もう一つの楽しみはホンマモンの道祖神を是非見たかったのです。
なんつうても信州・信濃の風景と言えば、安曇野付近の道祖神が良く写真に載っており、σ(*_*)とこの近所には道祖神が無く、平凡な石仏しか見た事がありません。
ちなみに「信濃三十三観音」は、ループ状の番号になっていなく、1番から順番通りに巡るとかなり行程をロスしますので、番号順は無視して巡りました。
信濃33観音霊場の札所「仲仙寺」本堂門の道脇には、今は珍しい茅葺きの堂が有り、中を見ると閻魔堂のよおで、おぉぉ・・さすが信州・信濃・・・
今、見る事のできる茅葺き建物のほとんどは、縁もユカリも無い、どこから引っ張って来たのかわからん所から買い取った、観光地の土産物屋か食堂のタグイでしか見られまへん。
閻魔堂の天井には紋の図柄が描いてあり、歴史を感じます。
閻魔堂の側に「巣立ち観音」という小さい堂が有り、立て札に説明書きがあります。
読んでみると、伊那小学校の児童が「クリッカー」というポニーを飼っていたが死んじゃったらしく、その感謝の意味を込めて、卒業を機会に6年生が「巣立ち」という名の観音堂を作ったらしい。
堂内には馬頭観音の石仏が奉ってあり、離れた所に馬の彫像が有ったので、それが「クリッカー」かな?
仲仙寺の観音堂は、正面階段をそのまま上がった所に有り、チッコイ堂かと思ってましたが、本堂並の大きい堂でした。
境内には「はびろ道」の丁石が有り、そおいえば高野山「町石道」の「町石」も、高野山のどこかの寺まで点々と続いていたような気がする。
「仲仙寺」観音堂内には、馬の奉納額が沢山飾ってあり、その中でも古い大きい奉納額の一つには、ゴチャゴチャと何かが描いてあるのがわからんのが有りました。
近寄って良く見ると、おびただしい数の馬がゴッテリと描いあるのですねぇ・・茶馬やら黒馬やら白馬が・・・
川を渡っているのでしょうか、陸地側?には隙間無く馬が居て、これだけの馬を一匹づつ描くのはタイヘンだったと思い、そお言えば信州は馬の産地でもあったなぁ。
尺八を吹いて参拝し終わった時に、登山客が一人来て、この観音堂の裏山は、ハイキングコースになってるようです。
今は地元の公民館になっている小学校跡?で一休み。
注:写真で「中仙寺」となっているのがありますが「仲仙寺」が正しいです。 すんまへん。
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