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信心もねぇのに、高野山へ行って来ました。
別に信心に目覚めたわけでもなく、いつの日か熊野古道とか西国霊場を歩いてみようと調べていたら、高野山の町石道も良さそうだなぁと思っただけです。
四国遍路した人は、一度は高野山へ行くらしいので、やっぱし人並みにする事は一度位はやっておかんと、話の種にもなるだろおし行ってみるべぇか・・という気持ちでして・・・すんまへん。
九度山駅から「慈尊院」へ向かう途中に「真田庵」というのが有りましてのおぅ、石油スタンド横の細い道を歩くと、すぐに有ります。
「真田庵」は真田幸村が蟄居していながらも再起を図っていたという庵だったそうなので、それなりの大きい寺かと思ったら、それほどでもなかった。
入口に提灯がある門で、知らなかったら普通の民家と間違っちまうんでねえかと思うほど、平々凡々とした造りです。
門の扉には有名な「六文銭」の紋があり、門内部には紋の云われが書いた額がデェ~ンと収まって、かろうじて真田家との関係が有るとわかります。
また、門内には釣り鐘が有り、よっぽど叩いてみようかと思ったのですが、寺の人がいらん気遣いしたらアカンと思って叩きまへんでした。
どおなんじゃろおなぁ・・・四国では、寺に入る時は鐘を打つんだけれど、他の国に来たら勝手に打ったら叱られるんでねぇかなぁ・・よぉわからんが・・
拝観料取るんかと思ったけれど、境内を勝手に歩きましたが必要ありまへんでした。
そこから慈尊院までテクテク歩くと、石垣に囲まれた慈尊院が有り桜が真っ盛り、早朝で住職さんが境内を掃除してます。
本堂で尺八参拝していると参拝客が3人来て、σ(*_*)の参拝が終わるのを待ってました。
それから、そのオバハンが茶髪の男女に指図して参拝の準備をし始め、オバハンは信心深いよおで、茶髪はその息子夫婦かな?
そおいえば、ここは安産の寺らしく乳を形どった縫い物が置いてありましたから、茶髪の夫婦に赤ちゃんが出来ちゃったのかもしれまへんなぁ。
境内に犬が繋いであり、近寄るとσ(*_*)の顔を見て吠えました。
この犬は初代犬と同じく「ゴン」と名付けられてるらしく、初代犬「ゴン」は高野山まで人々を案内した功により石像まで作ってもらえたのに、二代目「ゴン」は吠えるばっかりです。
初代犬を見習って、少しはシッポくらい振って、少しは恥ずかしいなぁ~と思って反省してほしい。
納経所の裏へ回ってみると、大きな堂になっており室内へ入れるようでしたが、先程の3人連れが住職と話しており、何か深刻そうな相談しているようなので入りまへんでした。
ほんまは、室内に入って響きを確かめたかったんだけどなぁ・・・
慈尊院境内から上へ向かう階段を上ると神社に行きますが、その階段の途中に熊野古道・町石道の始まりである「百八十町石」が有ります。
階段を上ると朱色の鳥居が有り、「丹生官省符神社」があります。
神社の脇の道を通って降りるとすぐに町石が有り、あれっ、こんなに早く一歩いたのかなぁ・・という感じで・・・
そして少し歩くとすぐに「勝利寺」が見え、その日は遠くから見るだけでしたが、後日に勝利寺へ車で行きました。
「勝利寺」は山門や堂が朱色に塗ってあり、また赤い幟も仰山建っているので新しい寺という感じがしましたが、云われを見ると古い寺のよおでんなぁ。
個人的には、朱なんか塗らずそのまんまの方が、古そうで情緒があると思うんだが、しかし大師堂は、そのまんまで良かった。
もっとも最初に大師堂を見た時は、崩れかかった土蔵かと思っちまったけど・・・。
四国とちがい高野山への遍路用地図が無いので、勝利寺はあんまり遍路が来ないかもしれまへんなぁ。
町石道を歩いて、その日のうちに高野山まで行くのなら、この寺でノンビリもしていけたのだが・・・
それに第一・・あぁたぁ~・・町石道から、この寺の急な階段を見たら「この次に来た時にでもしょう」って思っちまいますわなぁ。
本堂右手の方から柵越に見ると、寺の日本庭園が見えます。
庭の建物軒下から、庭を眺めると借景として遠くの山々を取り込んでるようで、うまく作ってあるようです。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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