信濃33観音霊場の札所「仲仙寺」より「辰野」方向へ向かって自転車を漕ぎ、今度は緩やかな下り坂で、ワッハッハッハッ・・「はびろ道」を上がって来たのと違って快適でんなぁ。
空は秋晴れ・・道路端には花が植えてあったり(一番上の写真)・・広大なる蕎麦畑に白い花を一面に咲かせ、さすが信州・信濃!!
快適に自転車で走っていると、「富田」集落へ入る緩いカーブの所に一軒の茅葺き屋根の民家を発見。
おぉぉ・・・今時、「茅葺き民家」とは珍しいと思い、自転車を止めてデシカメで撮影していると、気が付かなかったのですが、道端でスケッチしていたトッツアンから「珍しいでしょう」と声を掛けて来て、やっぱり目を付ける所は一緒ですなぁ。
少し話しをすると、この家にはバサマが一人で生活しているらしく、たいていトシヨリの一人暮らしというもんは、庭に草が生えて荒れてくるんだけれど、このバサマは几帳面でまだ足腰が動くのでしょうか。
「よぉ~残してくれていた、と思いますよ」とトッツアンが言い、σ(*_*)もそう思う。
チラッと描いてる絵を見ると、クレパスで形を取ってる所でした。
再び自転車で快速に道を走り抜け、所々の集落には大きな石の「庚申塔」が有り、見ればそんなに古い物ではなく昭和55年頃で、こんな大きい庚申塔を数年毎に作るのは、地元の人達も大変だと思う。
「下古田」集落で、少し道から外れた所に再び茅葺き屋根を発見!!
さすが信州・信濃!!・・トッツアンの言葉ではないが、よぉ~残していてくれていた。
自転車を止めて近寄ると、民家のよおであり、そおでないようでもあり、全体的にあまり手入れがしてないよおで、少し荒れた感じがします。
入口に「妙楽寺」という新しい石碑が建っており、一応寺のよおで「伊那諏訪88箇所3番札所」と彫ってありました。
へえぇぇ~・・「伊那諏訪88箇所」なんていう霊場巡りも有ったんだ・・初めて知ったでぇ。
境内の奥に古びた開けっ放しの堂があり、入ってみると古そうな石仏と、入口に有る細長い石に「南無大師遍路照金剛」と彫ってあります。
この細い石が無かったら、ここが「伊那諏訪88箇所」札所だとは思わなかったろう。
石仏の前には、ホコリっぽく錆びた年代物の凹んだ鐘が置いてあり、石仏よりもこの鐘の方が古さでは価値が有るんでねぇかなぁ。
それはそれとして、たぶんここは「伊那諏訪88箇所」として歴史が有る場所だったのでしょう。
全国に「88カ所」や「三十三観音」霊場は数多く有り、昭和の頃に出来た新しい霊場ならば寺に人が居ると思う。
しかし、少なくとも江戸時代からある古い「88カ所」や「三十三観音」霊場では、この寺のように無人となった寺が多いのではないかなぁ。
言っちゃあぁ悪いが、σ(*_*)は明治以後に出来た霊場、特に昭和時代になってアチコチに出来た新しい霊場は、正直言うと銭儲けのような気がして全然魅力を感じません。
再び自転車を漕ぎ、昼頃「羽場駅」付近に着き食堂か店が有るかと期待したが、なあぁ~も無く・・しかも無人駅ですがなぁ。
腹減ったなぁ・・店が途中に有ると思ってたが、ここまでの行程では店が1件も有りませんでした。
地図を見て人家が密集していそうな「赤羽」集落付近に行けば、何か有るかもしれんと思い、「腹減った」とモンクを垂れる越後屋を叱りつけ、励ましつつ自転車を漕いでると、「下田」集落にJAの店が有りました。
見るからに、あんまり大した物が無いだろおと思いながら店へ入ったら、やっぱり大した物が無かった。
無理ないわなぁ・・今は自動車で近所の大型スーパーへ買い出しに行ける時代だもん。
それでも餅が有ったので買い、越後屋に金を払わせて外で待っていましたが、なかなか出て来ない。
どおした?・・こんな所で「高いの・・安いの・・」と値切っても仕方がないぞ。
しばらくして出てくると「この辺で食堂が無いか」と聞いてたらしく、この付近には無くて国道まで出なければアカンらしい。
そんな話しをしているとJAの店員さんが追いかけて出てきました。
どおした釣り銭でも間違えたか?と思ったら、最近近くに出来たレストランが有る事をわざわざ教えに来てくれ、地図を見ながら道順を丁寧に教えてくれました。 ありがとうございました。
お陰様で、教えられたレストランで無事に定食にありつけました。信州・信濃の人は、旅人に何と優しいんじゃろおう。
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