信濃33観音霊場巡りの途中で、「沢底」地区「入村」集落に有る「日本最古の道祖神」を見るため、「赤羽」集落に入り県道?を横切って行くと「高遠街道」と書いた看板が立ってます。
おぉぉ・・やっぱし予定の道は、旧道だったのか・・、それにしても「高遠街道」という街道名は知らなかったなぁ。
自転車を押しながら坂道を上ってると住宅街の中に入ったので、ホンマにこのままの道で良いのか不安になりました。
だれかに聞こうと思い、昼休みで車の中でケータイをしている職人風のアンチャンを見つけ
「おのおぉ・・すんまへん、教えてください。諏訪へ抜ける道で「沢底」へ行きたいのですが、この道でよろしいのでしょうか?」
「「沢底?」・・ここら付近の者で無いので、よぉ~わかりませんが、諏訪へ行く道なんか有ったかなぁ・・」
あちゃあぁぁ・・やっぱし、道を間違ったかなぁ・・
「諏訪へ行く峠の途中に有る集落ですが・・」
「峠ならば「有賀峠」というのが有るけれど、だいぶ道から外れてますよ。」
それそれ・・有賀峠へ最終的に出れば、ええんじゃ。
「今来た道を戻って、大きい通りに出たコンビニ付近で聞いてみなさい。
はっ?・・この先の道でっか?、この先は団地になっていて、わからんようになりますよ。」
礼を言って戻りましたが、途中の三叉路で狭い道の方へ行けば予定の道に出るような気がする箇所がありました。
来る時にもこの箇所は、ちと迷って地図を確認したかったのだが、越後屋がズンズン先を行ったもんだから、そのまま付いていったんだけれど・・
越後屋が「教えられた大きい道へ出て、分かり易い道を行った方が良い」と不安がってモンク垂れるのを叱り飛ばして、行ってみました。
そこには「日本最古の道祖神」の看板が建っており距離まで書いてあって、ほれみろ正解じゃねぇかあぁ~・・ヨカッタナァ~。
緩やかな坂道を自転車を押したり乗ったりしながら、ノドカナ田園風景を行くと、「神主谷」という所に道祖神の第何番という立て札があり、側に互いに手を取り合った仲良しの道祖神があります。
σ(*_*)らは、仲良しでないから、手も取り合わず、お互いにソッポ向いてるけど・・・。
この先々の道祖神が在る所には「第何番」と地名を書いた立て札が一緒に立っており、初めて来る人にとっては分かり易くて良いと思う。
「入村」集落に入ると「日本最古の道祖神」の案内看板が再びあり、それに従って行くと村外れの山麓に看板(一番上の写真)が有り、山肌に沿って10個くらいの石が並んで立ってました。
看板が立っている側には農道のような道が有り、地図で確認すると山越えして諏訪へ行けるようなので、たぶん諏訪へ抜ける旧道だったのでしょう。
そもそも庚申塔とか道祖神・石仏つうもんは、旧道に沿って村の入口に立ってる事が多いですからねぇ。
どれが「日本最古の道祖神」かなぁ・・と思って探すと、「これだ」という看板は無いが、どおやら中央に階段がある所の道祖神がそれらしい。
「日本最古」というから、永年の風雨にさらされて道祖神のジジババの姿は、崩れて不鮮明になっているかと思ったが、予想に反して道祖神は鮮明な形で残っており、仲良く手を握っており、ワッハハハッ・・いいトシしながら見せつけまんなぁ、トッツアン。
マネして越後屋に、ソ~ッと寄り添い手を握ってやろおとしたら
「何すんじゃ!!・・このくそ暑いのにぃ~、近寄るなぁ!! シッシッ・・。
人が見てたら、どうすんじゃ、恥ずかしい。」
エエイイィィッッ・・・情緒の無いヤツめ。
こおいう場合は「あっ・・な・何をなさいます、おでぇかんさま。おたわむれを・・」と、気の利いた事を言うのが世間の常識なのにぃ。
えっ?・・そんな常識は世間に無かったのですか?・・す・すみません・・私が世間知らずでした・・シクシク・・・。
帰ってネットでこの「日本最古の道祖神」の事を調べてみると、手を握ってるのではなく、聞いて驚くんでねぇ・・
実は、トッツアンがカーチャンの着物の裾の中に手を入れようとしたが、カーチャンが「なにも、あぁたぁ~・・こんな所で・・今晩まで待ってね、もうセッカチなんだからぁ。」と、トッツアンの手を遮ってる形らしい。
おぉぉぉ・・・そお言われてみれば、手を握ってるのではなく、そんな風にも見え、良かったなぁ、あの時、越後屋にそんなマネしなくて・・いきなりそんな事したら、ドツキ回されて、ボコボコにはり倒される所だった。
地図には「沢底」としか地名が出ていませんが、今まで来た集落には「子字」が有るようで、ここは「入村」というらしい。
この「日本最古の道祖神」という単語に引かれて、わざわざ沢底「入村」集落に寄ってみたのですが、こおいう機会が無いと、ここへ来る事は一生無かったと思う。
ちなみにこの「日本最古の道祖神」は「永正2年(1505年)」の造りらしく、「関ヶ原の戦い」よりも古いでんなぁ。
少し戻って「日向」という所から、「鴻之田」に向かう山越えをする時、民家にオバハンがいたので念のため「この道は諏訪へ抜けれますか?」と聞いたら、行けると答えてくれます。
なんせ案内板も無い、初めて行く所を地図だけを頼りに行くのだから、一つ間違った道を行くとドエライ事になり迷子になっちまいますからなぁ。
しかし、その民家の付近からは、今まで経験した事のないような、もんの凄い急坂で自転車を押しながら上がり、あんまりのキツサに100mほど行った所のS字カーブの日陰で一休みしました。
休んでるとカーブの所に山道が有り、道沿いに石仏等が10体ほど並んでるのに気付き、きっとここも旧道だったのでしょう。
一休みしてから出発、1kmほどの距離を高低差100m位の山越えの坂道は、傾斜30度ほどありキツかった。
冬になるとこの坂道は車がスリップして上がれず、下りの時は、どこかにぶつかりながらでないと下れないと思う。
四国で例えると「出釈迦寺・奥の院」である、御大師さんが幼少のみぎりに山から飛び降りたと伝わる我拝師山へ上った坂道と同等にキツく、最近では経験しなかった一番の傾斜でした。
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