現在「地震研究所」になっている舞鶴山は、第二次大戦末期に天皇・皇族が疎開する「舞鶴山大本営跡(仮御座所)」を作る予定だったらしい。
象山地下壕跡・受付のオッチャンに教えられた神田川沿いに、自転車をエンヤコラと漕いで行くと、何の変哲も無いノドカな山麓に、立派なトイレと駐車場があります。
そお言えば象山地下壕のトッツアンが「「舞鶴山大本営跡(仮御座所)」にはバス停が有って、トイレと駐車場が有ったような気がしたが・・」と言ってたのは、これの事だったのね。
トイレ側の小道を行き、神田川を渡った所に、「舞鶴山大本営跡(仮御座所)」の「大坑道入口」が有りますが、これは扉が閉まっており入れません。
「案内看板図」を見ると庁舎は3棟有って、それぞれ番号が付いており、天皇は「1号庁舎」に住む予定だったらしい。
小道を進むと山側に現代的な平屋建てが有り、地震研究所の公務員宿舎かなぁ・・日当たりも良さそうでええなぁ・・と思ってたが、これが「3号庁舎」で、宮内庁関係者が入る予定だったそうな。
現在「3号庁舎」には気象台の展示品が有るらしが、σ(*_*)としては天皇・皇后の住む予定だった場所だけ見学出来れば良いと思っていたので見ませんでした・・・すんまへん。
道路の突き当たりが駐車場のようになっており、「2号庁舎」に入ると見学者用にスリッパも置いてあり、展示品を見ると、ほとんどが地震関係のパネルなんですねぇ、当然と言えば当然ですが・・
「二号宿舎」の階段を上がり少し奥へ降りると、行き止まりで金網入りガラス戸が閉まっており、その先は地下壕に続いており、現在は精密機械が設置されており立入禁止。
左写真では「1号庁舎」となってますが、「2号庁舎」です。すんまへん。
その奥が「大坑道入口」に通じており、そこが大本営となる予定らしかった。
この「舞鶴山大本営跡」の庁舎関係を整理すると、皇室が入る予定の「一合宿舎・天皇御座所」「二号宿舎・皇后関係」「三号宿舎・宮内庁関係者」、先程行った「象山地下壕」は、政府関係者と住み分ける予定だったらしい。
「舞鶴山大本営跡」の「2号庁舎」を出て、金網柵の中に有る「1号庁舎(御座所)」へ行き、金網扉は閉まっていても勝手に入っても良いらしい。
肝心の天皇の住む予定だった「舞鶴山大本営跡(仮御座所)」は、庁舎の窓カーテンが開いてる部屋で、そこが仮御座の予定だったそうな。
見学者は外から窓ガラス越しに、室内を覗き見る事ができますが内部へは入れません。
内部をデジカメで撮ろうとしたが、窓ガラスが反射してうまく撮れなかった。(一番上の写真も含む)
思ったより質素な2部屋続きの日本間でした。
「舞鶴山大本営跡・二号庁舎」では、地震関係の展示パネルを見ても、あんまりオモロないなぁ・・と思いながら玄関に戻ると、机にペットボトルが置いてあり、地震の際に起きる「液状化現象」の実験パネルがありました。
パネルに書いてある通りに、ペットボトルをガチャガチャと振って、中の砂やら泥をかき混ぜます。
次いで机の上にペットボトルを置いて、濁った泥砂が下に落ち、水がキレイになるまで少し待ってから、指先で「ポン」とペットボトルを弾きます。
すると、あぁ~らぁ~不思議!!・・・泥砂に埋まって隠れていたオハジキのような物が、ポンと砂の上に出て来るじゃありまへんか。
これが地震の時における「液状化現象」らしく、中越沖地震などで下水管などが道から飛び上がっていたのは、こおいう原理だったよおです。
どおして、そおなるのか文献を読んでも、よお~わからなかったが、この「液状化現象」の実験をしてみると一発でわかった。
やっぱし「液状化現象」は頭で想像するよりも、このような実験が一番理解出来ます、うん・・一つカシコクなった。
越後屋なんか、おもしろがってペットボトルを振り回して2回も3回も喜んでやっており、物理的には当然の現象かもしれんが、この「液状化現象」の実験は確かに面白くて不思議だった。
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