信濃33観音霊場を下調べをしていた時に、「音楽堂」というのが有るのは知ってましたが、どのような物かわかりませんでした。
道中の通り道だったので寄ってみると、「日下野小学校」跡を利用した施設のよおです。
校舎全部を利用しているのかと思ったら、体育館付近だけを音楽をするための施設にしたよおで、教室の有る校舎は当時そのままでした。
教室を窓ガラス越しに中を覗くと、黒板と椅子があります。
どちらかと言うと、こおいう教室もそのまま残して、何かに利用出来るようにすれば懐かしく思うんだがなぁ・・もったいない。
体育館を利用した「音楽堂」の方は、玄関から覗くと内部を新しく作り換えてあるよおでした。
す・・・すみません・・・、この学校名は「日下部」ではなく、「日下野」小学校で文中は訂正しましたが、写真の文字訂正は、なにとぞお慈悲を持って、ゴカンベンのほどを・・・
2012.7.2 m(_ _)m ははあぁぁぁぁぁぁ~・・・
追記 体育館の「音楽堂」を除いて、教室部分は解体され更地になっているらしく、今となってはもう見る事が出来ない貴重な木造校舎写真でしょう。(2019・4・12追記)
通り道に「やきもち家」というのがあり、「日帰り湯」も併設されて食事も出来るので入りました。
出迎えてくれた亭主は、えらい愛想が良いというか、何というか・・・(^O^)、取り合えず「日帰り湯」に入ると、だれも居なくて一番風呂の貸し切り状態です。
外の露天風呂には桶の湯船が有り、試しに入ってみると、ちと湯が熱かった。
この桶の中から下界を見下ろせるのですが、手前の植木が大きくてジャマだなぁ、無い方が良いと思うが、入浴している人がモロに見られちゃうから植木で隠してるのだろか?
σ(*_*)は別に見られてもカマワンが、見る人がイヤかもしれん・・・えっ!?・・見たいですか?・・そおですか、いつでも声を掛けてください。(^O^)
食事として「月見そば」を頼んだら、蕎麦の量が思ったよりも多く、普通の店よりも1.5倍ほど有ります。
「ザルそば」を頼んだ他の客なんか、ザルの上にソバが山盛りにデエ~ェンと載っかっており、まさかそんなに有るとは思わず「うわぁ~・・」という驚きの歓声を上げてましたが、そお~っと、その様子を写真に撮っておけば良かった。
この「やきもち家」は、蕎麦量の多さが売りなんでしょうか、なかなか、やりまんなぁ・・亭主。(^O^)
ついでに、この店で実演しながら作っている「おやき」なる物も注文した。
蕎麦を食べ終わって「おやき」の製作実演を見てると、なかなかテキパキとやってるので「慣れた手つきですねぇ、この道何年ですか?」と聞いたら「あの・・まだ半年です・・」
えっ?・・と思って顔をマジマジと見ると、オババかと思ったら、ジョシコーセのような若い女の人だった。
地味な割烹着を着て、頭にも布を被っていたもんだから、てっきり近所から駆け付けて来たオババが作ってるもんだと思っていた。
見ていると、練った粉に具を入れ、囲炉裏に掛かっている鍋に入れて焦げ目を付け、その後で灰の中に埋め込むよおです。
食事してた部屋の壁には、薄汚れた年代物らしい布に酔っぱらってるらしい女の絵が描いてあり、その女にウッカリ声を掛けると絡んでクダ巻いて来そうな雰囲気の不気味な感じです。
側には子供が軍配を持って、スキが有ればニワトリを叩きつけて捕まえようとしている図柄の絵も、やっぱり薄汚れた布に描いてあります。
愛想の良い亭主に、あの絵は云われが有る物なのか?と尋ねると「ニワトリの方は金太郎で、女の方は山姥だ。 金太郎は山姥の孫でここで生まれたんだ」と誇らしげに言います。
えっ?・・金太郎は足柄山で生まれたのじゃなかったの?・・という、話しの腰を折るような失礼な事を思っていても言わずに「ほほおぉぉ・・それで、このような絵は、この付近の家で掲げる風習なんでっか?」と聞いた時に来客が有り、亭主はそっちの相手をしに行っちゃった。
ほんとは、この絵がどのような経緯でここに飾られたのか聞いてみたかったが、忙しそうなのでそれ以上聞かなかったが、「何でも鑑定団」に出してみたら良いのにぃ。
部屋の額には「村の守護神 大姥様」が飾ってあり、絵の情景は、村人達が山上から顔出してるオババを裃を付けて出迎え、平伏するやら・・提灯上げてバンザイするやら・・・子供がそれ見て「コワ~イ・・早く帰ろう」と泣くのを叱ってるトッツアンやら・・が描いてありました。
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