HOME > 遍路・巡礼 > 「信濃33観音霊場」地図と目次 > 38 やまんばの里
H22.11.7 巡礼 H23.12.25 UP
せっかくだから、途中にある「岩井堂観音堂」へ寄ってみようと思いました。
あんまり、「岩井堂観音堂」の詳しい事はよぉ~わからんが、地図にも出ており、それなりに有名なのかなぁ・・と思いましてなぁ。
車道をどんどん行くと、細い山道の入口に「岩井堂観音 虫倉山登山道」と書いた看板が有りましたが、虫倉山へ行く登山道だと思って、そのまま車道を行きました。
途中に「岩井堂の名水」と書いた石碑の付近から清水が出ており、よっしゃあぁぁ・この付近に「岩井堂」が有るでぇ・・と喜んでさらに進み、山の尾根付近まで来ましたが堂のカケラも見えまへん。
こりゃあぁ・・来過ぎちまったなぁと思って引き返し、先程の「岩井堂の名水」石碑の所へ戻り、その付近を探したが見当たりまへん。
こおなったら、やっぱり先程見た「虫倉山登山道」の方から行くのかもしれんと思って戻り、車道から登山道を透かして見ると、それらしい堂の屋根が木々の間よりチラッと見えます。
あちゃあぁぁ・・やっぱりここだった、するってぇと・・・、先程の「岩井堂の名水」ちゅうのは、何だったの?・・けっこう離れてたが・・・。
「熊出没注意」の看板が有るので熊鈴を取り出し、「チリンチリン~・・」と鳴らしながら行くと、すぐに「岩井観音堂」が有り、堂の扉が開いたので中に入って堂内を一眺めすると、板壁にたくさんの落書きがしてあります。
江戸時代ほどの古典的な物は無いが、明治時代のが有り、福井県があり・・・富山県のも有ったので地名を読んで見ると「越中国砺波郡三清村・・・」と汚い字で書いてありました。
ワッハハハハ・・・σ(*_*)の御先祖様の近所に在る村じゃねぇか・・と思わず笑った。(^O^)
悪いやつちゃのおぅ、こんな所に落書きしおって・・・それにしても明治時代に遙か遠く離れた信州の、それも普通の人ならば無視して通り過ぎるような、山深いあんまり有名でも無さそうな「岩井堂観音堂」に、よく来たと思う。
故郷近くの地名を、こんな所で見るとは思わず懐かしかった、 これも何かの縁かもしれない。
四国遍路してた時に「御先祖様に遍路経験者が居たならば、その子孫も遍路をする縁が有る」という説を聞いた事が有ります。
そうするってえと、σ(*_*)の先祖は貧しい水飲み百姓のタグイと思ってたが、ひょっとすれば身内に「六十六部」のような変わり者も居て全国をホッツキ歩き回り、この観音堂にも来たのかもしれない。
またσ(*_*)の子孫がいつの日か、知らずに全国の霊場を巡るかもしれんと思うと、夢とロマンが有りますなぁ。
「岩井観音堂」内にはキツツキが空けたのか、板壁の所々に穴が開いてました。
信濃33観音霊場の31番「広福寺」へ行く途中に「山姥伝説」と書いた像があったので、わさわざ車を止めて、そのヤマンバの像を写真に撮りました。
どんなオトロシイ顔したゴオツクババアかと思ったら、花も恥じらうような、キリッとしたカシコそうな若くてキレイな女の人です。
きっと毎日コジワ取りや、日焼け止めクリームをベタベタ塗り、アイシャドウやら付けマツゲで化粧し、爪には高い金を払って何か模様を描いてもらったりしてるんでしょう。
しかも白魚のような手には、焼き鳥にしようと思って捕まえた・・あっ、違うなぁ・・自然に小鳥が手に止まってるようです。
こんな綺麗なネーチャンならば、そりゃあぁヨメに来てくれと、山ほど付け文が届いたでしょう。
σ(*_*)も若かったら山姥でも良いから、明るく清く美しい交際を申し込んだかもしれない。
ちなみに写真は逆光だったので、明るさ調整をしてありますので、悪しからず・・
信濃33観音霊場の31番札所「広福寺」の近くまで車で行けないような事がネットに書いてあったので、石段近くの所に車を止めて階段を上がりました、
行ってみると先客が居て、オババとそのお供をしている孝行息子(たぶん)との二人連れでした。
親孝行の息子達の車は寺のすぐ近くまで来ており、ここまで上がれたのだなぁ。
「広福寺」堂内には「やまんばの里」と書いた幟が有り、ここら付近は「やまんば」で売り出そうとしているのでしょう。
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