信濃33観音霊場の23番札所「宝蔵寺」を駐車場から眺めると、四国で言えば岩屋寺のような感じです。
それなりの長い階段を上ると、岩を背にした朱色の堂が有り、さらに山へ向かっての階段があったので行ってみると展望所になっており、麓の町が一望できました。
「宝蔵寺」境内に下りて岩谷観音堂の彫刻を見ると、龍の他に「お相撲さん」のような裸の人の彫刻も有り、珍しいでんなぁ・・この云われは、何でしょうか?
「岩谷観音堂」横には、岩を利用した細長い赤い堂が有り、悪く言えば「牢屋」のよおで、中に牢名主が座っていれば絵になるのにぃ。
外見から見れば「閻魔さんとその御一行様」でも並んでるのかな?と思って中を覗くと、想像に反して中はホコリっぽく、瓦や堂の壊れたようなのが置いてあり一種の物置化してます。
せっかく外観はキレイに朱色塗装してあるのに、中身がこれではガッカリする。
一応、この建物には「楓の前」と表札が出ており、内部がホコリっぽいのに、えらい優雅な名前を付けた建物だなぁ・・・と思ってると、越後屋が「観音堂前の案内看板に書いてあったよ」と教えてくれました。
そか・・字が一杯書いてある看板は、ややこしいから後でヒマな時にでも読もうと思っていたので、まだ読んでなかった。
「楓の前」案内看板によると、平家滅亡の際に落ち延びた平景清がここに寄り、愛妾の「楓の前」が追って来たが平景清は鎌倉で捕らえられたのを知り、この地で平家一門の菩提を生涯弔ったらしい。
いいなぁ・・・追ってくれる女性が居て・・・σ(*_*)なんか落ち延びても、だれも追ってくれんし、越後屋なんかは追うどころか「あっち行け、シッシッ・・」と喜ぶだけじゃろなぁ。
「楓の前」の建物に住んでたのかな?、そおだとすると冬は寒いだろなぁ・・それにしても表札まで付けているのだから、内部を片付けるか、もおチット見良くすれば良いのにぃ。
「楓の前」の岩を「よっこらしょ」と言いながら下りると、観音堂の裏に目立たないような入口が有ります。
これも物置のタグイかなぁ・・と思ったら「奥の院・洞窟観音」の表札が有り、中に入ると暗い洞窟になっており、へええぇぇ・・「宝蔵寺」に「奥の院」が有るなんて知らなかったでぇ。
ネットで下調べした時にも、この「奥の院・洞窟観音」の存在を紹介しているのは見当たらなかった。
灯りが全く無いので真っ暗だが、「奥の院・洞窟観音」内部は深くなく広いような気がして、デジカメで撮って見ると中央の奥に石碑と観音さんが立っているようです。
よっしゃあぁ~・・人も来ないし、ここで尺八を吹いて参拝しよう、洞窟内だから、さぞかし音が響くだろなぁ。
吹いてみると自然の岩壁に反響するためか、もんのすごく尺八の音が良く響き、暗闇から目が慣れて来ると観音さんも見え始め、音の響きも最高の出来です。
こおいう場所は滅多に無く、去るのが惜しいので三曲吹きました。
真っ暗闇の中で、恥も外聞も何も考えず、何も見えない状態で吹くのが、やっぱり本当に自分の心に向かって尺八を聞かせれるのかもしれない。
参拝が終わって、観音堂・階段でボオッ~と口開けて座って待っている越後屋に感想を聞くと、滅多に誉める事がない越後屋でさえも「今までの中で一番良かった」と珍しく言いました。
庫裡の入口付近に参拝者のための「お休み処」が有り、お茶のセットも有ります。
こおいう「お休み処」を作ってくれていたのは、「信濃33観音霊場」ではこの「宝蔵寺」だけだったような気がする。
階段を下りた所に「聖徳太子堂」の案内看板が有り、何でここに聖徳太子が?・・どうせ大した事が無いだろおと思って、あんまり期待しませんでしたが、なんせ今後たぶん二度と来ない場所だから、話しの種にでもと思い寄ってみました。
山に上がる階段を登りながら・・思ったよりも距離が有り、やっぱり止めときゃ良かったかなぁ。
近くに墓が有る場所にチッコイお堂が見え、ふぅ~ん・・こんなのか、やっぱり大したこと無かったなぁ。
それでも記念に「聖徳太子堂」の外観を写真に撮り、帰ろおと思って堂内を見ると、祭壇というか・・棚に尺八が奉納してあるではありまへんか。
へえぇぇ~・・!!こんな所で尺八にお目にかかるとは・・・何とかその尺八を手に取って見たいと思い、幸い鍵が掛かって無く、扉は電線で縛ってあるだけだったので、結び目を解いて中に入りました。
「聖徳太子堂」堂内は狭く、あんまり掃除もしてないよおで供えられた花も枯れています。
尺八を手に取って見ると、1尺8寸管、裏穴の所より少し割れかかっており、唄口は琴古系で尺八銘の焼印も有りますが、よぉ~読めん。
尺八置き台には達筆な字で
「尺八は一節切(ひとよ)ばかりと思いしに 幾夜か老の友となりけむ 一休禅師 」
と書いてあり、奉納年月は平成3年10月吉日、今から20年ほど前に奉納されたよおです。
奉納した人の名前も書いてあるが、ここに記載して良いものか、どうかわからんので、とりあえず書きませんが、帰ってからネットで調べましたが、尺八関係でこの人の名前は見当たりませんでした。
尺八を試しに吹いてみると、筒音だけが出ません。
はれっ?・・・と思って、尺八の中を覗いて見ると管尻の付近が詰まってるようなので、落ちていた木枝で突いてみると、乾燥した泥のような物がパラパラと落ちて来て、スズメ蜂が内部に巣を作ろうとしたのでしょうか。
あらかた泥を落として吹いてみると、今度は全ての音が出たので試しに「本調」を吹いてみました。
普通、何かを奉納するとなれば本堂や観音堂を選ぶのに、あえて人が参拝しそうにも無い、このチッコイ「聖徳太子堂」に尺八を奉納しているのは、聖徳太子との関係や一休禅師の和歌も知っている尺八関係に詳しい人だと思う。
また見事なる達筆な字を書かれており、それなりのお年を召された方と想像する。
ちなみに永年尺八を使用していると、唄口や持ってる指穴付近より除々に茶色に変色して来ます。
尺八を見れば、どの位吹き込んで有るかわかりますが、奉納された尺八には、吹き込みの経歴を示すような変色は見られず、新しい尺八のような感じです。
奉納する物には「・・の為」という言葉が有るのですが記載されていなく、どおいう意義で尺八を、ここに奉納されたのか、わかりません。
もし縁有れば、関係者の目に触れる事を・・・と思い、尺八置き台の下に納札を挟んでおきました。(一番上の写真)
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます
以下、広告です。