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 麻積宿の街並み、尺八を携え巡った信濃三十三観音霊場記 H22.11.13 巡礼    H24.1.26 UP


「嫁の泣石」と「木曽義仲」の馬伝説/信濃33観音霊場

 「今井」付近、自転車で巡った「信濃33観音霊場」紀行文      道祖神・青柳学校竹場支校跡、信濃三十三観音霊場記      道端の道祖神、自転車で巡った「信濃33観音霊場」紀行文

 「麻績」に向かって自転車を走らせてると、「竹場」の道筋にチッコイ藁葺き小屋の中に道祖神があります。

 白い立標識も側に有ったので、さぞや名の有る道祖神だろなぁ・・と思ってワクワクしながら標識を読むと「青柳学校竹場支学校跡」と書いてあったが・・道祖神の説明は無かった。「和合」付近の道祖神、信濃三十三観音霊場記

 しかし、藁で造った丸い飾りのようなのも珍しく、何か云われの有るこの付近の特徴なんでしょうか?。

 この先々にも道祖神が有り、「安曇」以来の久々です。

 国道403号線から、わずかばかり旧道へ入ると「嫁の泣石」という標識があります。

 付近には石灯籠と大きい「二十三夜塔」がありますが、嫁さんが泣くほどのスゲェ~「嫁の泣石」はどれか?と付近を見渡したが、よぉ~わかりまへん。嫁の泣石、信濃三十三観音霊場記

 立標識の側には、何の変哲も無いゴロンとした石が有ったが、それなのかなぁ。

 近くの民家に石垣が有り、ヒョットして、その石垣の片割れかもしれん・・・と思ってたら、近くに居たオバハンが胡散臭そうにジロッと見たので、「嫁の泣石」を確かめずに写真を撮り、トットッと次へ行きました。

 時間が有れば、越後屋に石の前で倒れさせ「ヨヨヨ・・・」と泣くマネさせて写真を取りたかったんだけどなぁ。

 何で「嫁の泣石」というのか説明板がなかったので、わかりまへん。

 たぶん姑・小姑が寄ってたかって「あらぁ~・・ヨメコさん、我が家では、どおたら、こおたらで・・こうするのが家風なのよ。いつまでも何してまんねん。早く我が家に馴染んでね。」と嫁さんをイジメるので、人知れず泣いてるカワイソーなヨメさんの話だと想像しました。

 気になったので帰ってからネットで調べてみると「遊人学舎」さんのサイト「嫁の泣石」が載ってました

 これを掲載する時点ではサイトが終了してるらしく、連絡方法がわかりませんので、勝手に要約して転載させてもらいます。

 江戸時代に松本地方の娘が、長野の裕福な見知らぬ男の嫁になるためにと家族に連れられて家を出て、この石の前まできたとき、娘は石にかじりついて「行くのは嫌だ」と泣いたそうな。古い社、自転車で巡った「信濃33観音霊場」紀行文

 あまりに泣き叫ぶので、家族は長野に連れて行くことをあきらめ、、石には「嫁の泣石」と刻んだそうな。

 その後も松本地方から娘たちは長野の豪族の嫁になるためにと家を出ましたが、「嫁の泣石」の前を通ると娘たちは石にすがりついて長野に行くのをいやがります。

 困った家族は娘よりも先に行き、石を着物などで覆い隠したが、ウワサが広まって別コースの道で善光寺へ向かったそうな。


 おいおい、カアチャン・・どこがカワイソーな話じゃ、単なる娘のワガママというか、甘ったれた話しじゃないですか。

 で・・やっぱり「嫁の泣石」と彫ってあったのかな?、よぉ~見てこなかったが・・・あの時、オバハンがジロッと見なかったならばなぁ・・・。

一口坂・入口、信濃三十三観音霊場記   一口坂、信濃三十三観音霊場記   駒ガ石・一口坂、信濃三十三観音霊場記

 国道から「一口坂」という旧道へ入り、「一口坂」の云われは、木曽義仲の軍馬が道端に生えてる笹を一口食べて元気になったらしく、パンダの元祖みたいでんなぁ。

 「一口坂」の坂道にはホンマに笹が生えていましたが、σ(*_*)はパンダで無いので、食べなかったけれど・・。

 道端に「駒ガ石」というのが有り、木曽義仲軍が通った時に路上の石に蹄の跡が残ってるそうで、その後はこの石を「駒ガ石」と名付けたらしい。

 一口坂越え、自転車で巡った「信濃33観音霊場」紀行文    一口坂・道祖神、信濃三十三観音霊場記     叶里古墳、信濃三十三観音霊場記
 自転車で巡った「信濃33観音霊場」紀行文    ガッタリ、信濃三十三観音霊場記     姥捨山冠着宮遙拝所、信濃三十三観音霊場記

 遠くのタンボの中に、云われの有りそうな木の側に白杭の標識も有り「叶里古墳」らしいが、わざわざ寄ってみまへんでした。姥捨山冠着宮遙拝所2、信濃三十三観音霊場記

 何の変哲も無い普通の道端に立札があり「ガッタリ」と書いて説明してあり、木曽義仲の愛馬が疲れて「ガッタリ」と膝を折ったので「ガッタリ」という地名になったらしい。

 ここら付近は木曽義仲の馬が、笹を食べたり転んじゃったり・・と伝説の主役のよおです。

 しかし、坂道でも無いのに、こんな所で膝を折るなんて、馬もコンジョ無しじゃのおぅ。麻績宿場街・本陣跡、信濃三十三観音霊場記

 道端に大きな木が生えており、こおいう大木の所には何か有るなぁ・・と思ってたら「姨捨山冠着宮遙拝所碑」の看板があり、それにしても漢字を一杯くっつけた長い名前ですなぁ。

 石仏のようなのが数基置いてあり、ここから姨捨山を拝んだのでしょうが、その方向には人家が建っており、今は拝めまへんでぇ。

 麻績宿に到着、真っ直ぐな道が、いかにも昔の宿場街の感じを残しています。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます



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