「麻積宿」に信濃33観音霊場の1番札所「法善寺」への看板があり、側にはコンクリ升に水がドンドコと流れており共同水場のよおです。
途中に井桁の門が有り「黒門」と言うらしく、札所「法善寺」入口は杉木も茂り、いかにも古刹といった禅寺風です。
本堂へ行き、さて参拝しようかな・・と思いましたが扉は開かず、あらっ?・・・まだ起きてないのかな?、もう昼近くなのにぃ。
お~いぃ住職さぁ~ん・・開かないぞぉ・・と思って、もう一度開けようとした時、ふと扉の桟を見ると賽銭が置いてあります。
あららあぁぁ~・・17番「関昌寺」のような無人の寺でもあるまいし、1番札所「法善寺」は本堂の戸も開けないの?
それとも、この「法善寺」には世に知られていないカワイソーな言い伝えが有って、扉の桟にお賽銭を置くのが伝統・流儀になってるのかな。
扉のスキマから堂内を覗くと、賽銭箱・納札箱が有り、「ご自由にお持ちください」と書いた看板の下にパンフレットも置いてあり、「法善寺」としては「入堂禁止」ではなく堂内へ入れる気持ちは有るようです。
禅宗には必ず有ると思われる「脚下照顧」と書いた板も立っており、扉に挟まれている賽銭の数を見ると、ここ数日間というよりも、かなりの長期間、この扉を開ける事なく閉まったままだった事が推察されます。
この1番札所「法善寺」へ来た参拝者は扉より中に入る事が出来ず、賽銭箱に賽銭を入れる事も出来ず、やむを得ず扉に賽銭を置いたのでしょう。
賽銭の数だけ参拝者が何を考え、どんな思いをしながら扉に賽銭を置いたのか、「法善寺」の人にわかるかなぁ。
「脚下照顧」を言うよりも、まずは「扉桟照顧」じゃないだろか。
だれか1番札所「法善寺」に注意してあげて下さい、σ(*_*)は気弱なので、よぉ~言えまへんが・・・。
信濃33観音霊場の2番札所「宗善寺」は1番「法善寺」横に有る車道を上ります。
途中、細い遊歩道(だったのかな?)もありますが自転車を押していたので、そのまま車道を行きました。
しかし車道の坂は、かなり急坂なので、それから考えると遊歩道は、もっと急坂なような気がする。
「ヒーコラ」言いながら ドエレエ坂道をママチャリ押して上り、「観月苑」に着きましたが300円払ってまで景色を眺めるつもりは・・ちと無いなぁ。
「観月苑」横の山道を少し行くと、松林の中にチッコイ堂があり、それが2番札所「宗善寺」でした。
「宗善寺」横にも道が続いてるので、参拝は後にして行ってみると「観月苑 待月亭」という東屋があり、ここもお金を取られるんかなぁ・・と心配したが、番人も居なく料金箱も無いのでタダで入れるよおです。
うん、ここで月を眺めるのも一興かもしれまへんなぁ。(一番上の写真)
「宗善寺」の堂に戻り、参拝してから設置されている案内看板を読むと、ここの観音さんは、明治の廃仏毀釈の際に臼井家の当主が観音像を仏壇に安置したそうな。
その後、ここに堂が建った時に臼井家の子孫が彫ったという羅漢が納めてあるという説明が書いてあります。
「宗善寺」堂内を拝見すると、観音さんの脇に数体羅漢さんが置いてあり、なかなか味の有る顔してます。
彫った人に似るというから、このようなおだやかな顔をした人かもしれまへん。
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