「聖高原駅」前のヒナビた食堂で遅い昼食をとり、こおいう余り人が来ないよおな食堂の方が、変わった事が有ってオモシロイだよねぇ・・言っちゃあぁ悪いが・・
バアサマが一人がやってるようで、定食を頼んだら量が思ったより多かった。
信濃33観音霊場の3番札所「岩井堂」は、そんなに迷う道ではなく、すんなり行けます。
「古司」集落入口付近のチッコイ公園に「岩井堂」の標識が有り横道を入って行くと、いかにもこれまたヒナビタ感じの堂でした。
「岩井堂」に着くと近くで畑をしてる人が手を休めて、しばらくσ(*_*)らを眺めてましたが、納経帳を依託されてる家の人だったのかな?
境内には枯葉が積もっており、サミシそうに石仏が数体並んでいます。
手入れがしてある庭を持つ金襴豪華な寺よりも、このような寂れたお堂の方が心が落ち着きホッとします。
ここで無給で良いから堂守をさせてくれんかなぁ・・庭掃除しながら、尺八を吹いて余生を過ごすんだが・・・それに引き替え、大きい寺で余生を過ごそうとは、どうしても思わん。
近くなので「麻積神明宮」にも寄ってみました。
行く途中に屋根付きの道祖神が有ったが、飾ってある藁の飾り?が崩れかかってます。
せっかく屋根まで造って大事にしてあり、この付近でしか見られない珍しい藁の飾りも手入れすれば良いのに・・惜しいと思う。
「麻積神明宮」境内参道は村の人が掃除しているのかキレイで、平安時代から続く由緒正しい神社で「仁科神明宮」と並ぶらしい。
「麻積神明宮」拝殿には「日の丸」の幕が張ってあり、そお言えば大きな神社では、たいてい幕が張ってありました。
地方のあんまり有名でない神社で幕が張るのは、祭りの時以外に、あまり見た事が無く、やっぱり由緒正しい宮は、こおいう所からも違いますねぇ。
「麻積神明宮」境内に大きな舞台のような建物が有り、あんまり使われている様子は無いが、これはこれで珍しい形だと思う。
「下井掘」付近から山越えをして「青柳宿」へ向かいました。
途中、高速道路の下を通るとすぐに「善光寺街道 小切通し」の看板が有り、ノミ跡も残って大岩を削ったそうです。
でも、これ位の岩だったら労力の事を考えると、迂回するとか、土を盛って埋めちまえば良いような気がするが・・・そんな事を思ったらアカンのかな。
さらに行くと「大切通し」の看板が有り、これは先程の岩よりも大きい。
説明看板には、付近に百体の石仏が有ると書いてあり、見れば石仏が岩肌に張り付いており、時間が有ったら一回りしてみたいが、夕暮れが迫っているのでヤンピした。
「青柳宿」に入ると各家の玄関前に、色紙を取り付けた輪のような物が飾ってあります。
最初に見た時は、子供の工作物でも飾ってるのだろおと思ったのですが、続く家並みの玄関にも飾ってありました。
色紙は色落ちしてないので、最近取り付けた物だと思うが、あれは何という飾り物で、どのような言い伝えが有るのでしょうか?
自転車を漕いでる時に、出会っただれかに聞くつもりでしたが、だれにも行き会わず、ついに聞けませんでした。
「青柳」集落付近だけで見かけた飾り物で、どなたか御存知の方、教えてくんなさいませ。
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