HOME > 遍路・巡礼 > 「庄内33観音霊場」地図と目次 > 3 羽黒山
巡礼日 2013.6.30 掲載日 2014.8.11
遠くに鳥居が見える所の石階段でも模様を見つけ、写真の写りは、あんまり良くないですが「盃と徳利」がハッキリ彫ってあり、作者は、よっぽど酒が好きだったんでしょうなぁ。
鳥居付近に手洗いの水が有り、ここまで来るのに喉が渇いてたのでガブガフ飲みました。
鳥居を潜った最初の「厳島神社」は、小さい堂ながらも龍の彫刻がスゴく、両柱に上がり下りの龍が巻き付き、正面にも龍が彫刻されており、拝見するとかなり精巧な作で、さぞかし名の有る人が彫ったのでしょう。
両柱の龍は、手で触られないように金網で囲ってあり、そおじゃろなぁ・・その精巧さのため、思わず龍のウロコを触ったり、口に手を入れてみたり、頭を撫でてみたくなる。
これだけの彫刻だから説明看板が有るかと探したが見当たらず、だれの作かわかりまへん・・惜しいなぁ。
茅葺きの大きな拝殿へ行き、知らなかったのですが「三神合祭殿」と言って「月山」「羽黒山」「湯殿山」の出羽三山の三神を祀ってあり(写真の字が間違ってました。すんまへんね)、σ(*_*)は、ここへ来るまで羽黒山を御神体とする単体の神社かと思ってました。
お守りを売ってる所で、キレイな若い巫女さんに「尺八を吹いて参拝して良いか」と伺うと、インターホンで問い合わせてくれます。
そこらに居る神主に、お伺いに行くのかと思っていたが、おおぉぉ・・・さすが時代に合わせて、ハイテクな機械を使ってますなぁ。(^O^)
結果的には「OK」でしたが、まもなく礼拝が始まるので、それまでに終わらせて欲しいとの事でした。
三社を奉ってるので三曲吹こうと思い、まずは「手向」を吹きましたが、途中で神主が何が始まったのか・・と見に来たし、もうすぐ礼拝があると聞いていたので、もう一曲は短い「本調」を吹いて二曲だけにしました。
少し離れた所に「歴史博物館」が有り、「いでは文化記念館」と共通券だったので行ってみましたが、展示品は仏像が多く、興味が無いのであんまり面白くない。
それでも月山に登る時、昔は登り道の各「合」毎に茶店が有ったとガイドに教えられてたので、その古い茶店の写真がありました。
説明を聞いて無くて写真だけを見たら、何?・・この小屋?・・と思って、それが貴重な写真だった事に気付かなかったかもしれません。
「月山」銘の刀があり、おぉぉ・・そおいえば、ここは刀も有名な所だった。
「歴史博物館」受付のオバハンに「奥の細道」歩道の場所を聞いて出ると、ちょうど一人の山伏が入館するところでした。
ダメ元で「1枚写真を撮らせて下さい」とお願いすると、首からぶら下げていた法螺貝を、おもむろに持ち上げて素直にポーズを取ってくれます。
おぉぉぉ・・さすが山伏・・・単にその場で突っ立ってるだけかと思ったのですが、法螺貝まで持ち上げるサービスまでしてくれるとは思わなかった。 !(^^)!
法螺貝を吹くマネもしてくれと言えば、やってくれたかもしれんが、そこまではさすがに言わなかった。 ども、ありがとさんでした。
今度からσ(*_*)も笠を被って遍路・巡礼姿をしてる時に、写真撮らせてくれと言われたら、いかにも妻子に捨てられ、行き場も無くホッツキ歩いてるカワイソー遍路ジジイの風情を出したポーズをしてあげよう。
「歴史博物館」で教えられた駐車場へ行ったが、「奥の細道」歩道入口がよぉ~わかりません。
駐車場・売店のオバハンに、歩道入口の場所を尋ねると、売店外れに草が生えてる真っ直ぐの道で「道の状態が良くないよ」と言われました。
そか・・歩く人も少ないから、道が荒れてるのかな・・と草が生えてる道を進みましたが、それも最初だけで道跡はしっかりとわかり、その後は草が生えてない幅広の道でした。
道の中央に石が一列に置いてあり、これが踏み石なのか、道順を示しているのかわかりまへんが、わかりやすい道で迷うような箇所は有りません。
この「奥の細道」歩道を松尾芭蕉が歩いたのだと思うと、また格別な気分ですねぇ。
その頃から、このような踏み石が有ったのでしょうか。
昔の月山登拝道だったそうですが、歩いてみると売店の人が言ってたほど道は悪くなく、分かりやすい道でした。
途中に建物が有り、もう庄内33観音霊場・首番「荒澤寺」に着いたのかと思ったら「吹越神社」でした。
神社というよりも寺の堂のような形をしており、対面に有る細長い宿泊所のような建物の方が年期が入ってるように思う。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます
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