HOME > 遍路・巡礼 > 「庄内33観音霊場」地図と目次 > 5 手 向
巡礼日 2013.6.30 掲載日 2014.8.18
羽黒山麓の街並みは門前町になっており、所々の家に「引き綱」が飾ってあります。
この門前町は「手向」と書いて「とうげ」と読むらしいが、どうしても「たむけ」と読んじゃいそう。
はい、「庄内33観音霊場」所では当然いつものように尺八「手向」を吹いて参拝しました。
この「手向」集落に札所が2箇所有るので、これを片付けておけば、後日の札所巡りに省略できるので車で行きました。
「庄内33観音霊場」の1番札所「正善院」を探すと、羽黒山へ行く途中に道端に茅葺きの建物が見えたので、時間が有ったら見に来よう・・と思っていた「黄金堂」が札所でした。
山門には、ちゃんと仁王さんがガンバッており、小さい堂だったので、まさか仁王さんが居るとは思わんかった。
境内に小さい堂が有り、これが観音堂かと思ったら「お竹大日堂」で、云われが書いてあります。
それによると、江戸時代に羽黒山麓出身の「お竹」という人が江戸で一生懸命に働いており、その働きぶりや、人格が立派やら何やらかんやらで、江戸中の評判になってたそうな。
その頃、ある山伏に夢のお告げが有り「あんさんの信心に応えて、生身の大日如来を拝ませてやろう。
江戸の何とかという家へ行き、そこの「お竹」を拝め、大日如来の御化身である。
あっ・・・ちなみに言っとくが、オマエのとこの、ゴーツクババアを拝んでもアカンぞ。
あれは、どうしょうも無いヤツだから、そこんとこを間違えんようにね。」と言われて拝みに行ったそうな。
山伏が「お竹さん」に会えたか、どうだったか忘れちゃった。
「お竹」さんが亡くなったので大日如来を彫ってもらい、これを「黄金堂」境内に移して「お竹大日堂」を作ったそうな。
だいぶ話を、はし折ったが、こんな感じらしい。
本堂は鍵が閉まっており、近くの関係者宅へ声を掛ければ開けてくれるらしいが、そこまでの信心も無く、もう夕暮れ時でその家の人も忙しいだろうと思い、その場で参拝しました。
本堂の奉納額に女性の絵が飾ってあったが、これが「お竹さん」じゃろか?
2番札所「金剛樹院」もこの近くだろおと思って地図で場所を探しておいたが、郵便局まで行ったがわからん。
その途中、入口に注連縄を張り、庭に白い御幣のようなのが飾ってある家が有り、山伏の家だろか?・・と、よそ見しちまった。
車でゆっくり走りながら札所を探した時に、チラッと小道の向こうに堂の屋根らしいのが見えたので、酒屋の駐車場に勝手に止め(すんまへん)、歩いて確認に行きました。
狭い小路入口の電柱に「金剛樹院」と矢印が書いてあったが、よぉ~注意しないと見落とすじゃろなぁ。
狭い道を歩いて寺へ着くと、家の中から夕食準備をしている音が聞こえます。
奥の駐車場に先ほどチラッと見えた堂があり、それが観音堂かな?と思ったが堂の看板が無いのでわからん。
新しく造った堂のようで何となく大師堂のような気がするが、看板か説明看板くらい有った方が良いと思い、初めて来た者には、わかりまへんでぇ。
寺の人に聞けば良いのでしょうが、どうしても観音さんの前で参拝しなくちゃアカンと言うほどの信心は有りません。
夕食準備で寺の人も忙しいと思い、ここは黙って本堂と思われる所で参拝する事にしました。
なんせ・・ほれ・・・σ(*_*)は気弱な性格で、いつも他人に対しては必要以上に気遣いする小心者でして・・
堂の戸が開くかな?と思ったら簡単に開いたので、遠慮して少し戸を開けて外から参拝しました。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます
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