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巡礼日 2014.4.18 掲載日 2014.10.17
余目駅に車を置いて駅ホームへ出てみると、通学の高校生がワンサといて、どこから湧いて来たんじゃ。!!
少子化がささやかれているこの御時世、失礼ながらこんな片田舎の町なのに、この現象はどこの別世界?という感じ。
ホームにも200人位は居たように思い、過疎地の学校ならば3学年分を、この人数で十分にまかなえるなぁ・・と思った。
鶴岡駅より自転車で走り、国民から嫌われている電波の押し売り「犬・エッチ・ケイ」アンテナ塔を目指し、その付近にあると思われる「庄内33観音霊場」の28番札所札所「龍覚寺」へ向かって、適当に細い路地へ入りました。
入った路地にチッコイ店が有ったので、そこで聞こうと思って自転車を止めると、寺の屋根と大木らしいのが近所に見えたので行ってみると正解で、結局「龍覚寺」境内の横から入り、正門は別道に有ったのですが、この札所の場所もわかりにくいだろなぁ。
堂の戸が開いたので勝手に中へ入って尺八参拝し、終わったら寺の奥さんが「ご苦労さんです」と言いに来ました。
たぶん尺八の音が聞こえたので来られたのしょうが、こっちも予想していなかったので「おじゃましてます」と、何となく場違いの返答をしちまった。
「龍覚寺」境内のツツジのビンク色が、もんのすごくアクセントになって映えていました。
鶴岡市内を走り、目印にしていた四つ角で、ここら付近に29番札所「南岳寺」が有るはず・・と思って探したが無い。
通りかかったゴミを持ったオババに聞いたが「わからん」と言い、地元のオババでさえも、わからんとは、まいったなぁ。
礼を言って少し行った所で、家の前で花の手入れをしているオバハンに聞いたら、今度はアッサリとわかり、結論的には、σ(*_*)が地図の位置場所を勘違いしており、四つ角を反対側へ行かなければアカンかった。
トシですなぁ・・思い込みが強くなり、再確認とか何とかがメンドウになって来ている。
教えられた所へ行くと墓が有り、この辺かと思った所にコンクリ造りの29札所「南岳寺」が有りました。
境内に朱色の堂が有り、それが札所の観音堂かと思ったら「淡島大明神」の説明看板が有り、そおだわなぁ・・古い観音霊場ならば、こんな派手な色の堂にはしないだろう。
看板の説明書きを読んでみると「長南年恵」なる霊能者を奉ってるらしく、丹波哲郎の「霊人の証明」もオマケに記載されてます。
ふうぅ~ん・・霊能者のタグイかぁ・・インチキとかホンマモンだとか、信じる、信じないは人それぞれだからなぁ・・とその時は軽く思ってました。
ところがこれを書いてる時にネットで調べてみると、「長南年恵」はインチキだと訴えられた時に、裁判官の目前で瓶に霊水を出して見せたので無罪になり、霊界関係スジの人達ではかなり有名な人らしかった。
へえぇぇ・・こおいう人も居たんだ・・知らなかったなぁ。
札所「南岳寺」境内のどこかに観音堂が有るのか?・・と思ったが無さそう。
「南岳寺」本堂と思われるコンクリ造りの階段を上がり戸が開いたので参拝し、狭いコンクリ内で尺八を吹いたためか、久々に、もんのすごく良く響いた。
次ぎの札所へ行くのに、高速自動車道沿いに道が有れば近道になって良いのだがなぁ・・と思いながら行ったら砂利道が有ったので通りました。
「赤坂」集落付近で「藤沢周平」の生誕地の看板が有ったので、ついでに寄ってみると、家は既に無く石碑が建ってるだけの広場になっており、子孫・関係者は、どっかへ行ったのでしょう。
今まで庄内33観音霊場を巡っていて「藤沢周平がどうたら・・」という看板があちこちに立ってました。
文学者らしいのはわかりましたが、学が無い人間なので「藤沢周平」とは正直言ってどんな人なのか知りません。
で・・・これを書いてる時に、またまた頼りのネットで調べてみると「藤沢周平」は「たそがれ清兵衛」「蝉しぐれ」「武士の一分」等を書いた人で、σ(*_*)もこの映画なんぞは好きでしたが、それでロケ地が庄内地方だったんですねぇ。
少し行った公園には、元は学校だったらしく鉄棒・ブランコ・国旗掲揚台が残っており桜が満開です。(一番上の写真) トイレも有ったので、少し休憩しました。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます
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