HOME > 遍路・巡礼 > 「庄内33観音霊場」地図と目次 > 32 神狐塚
巡礼日 2014.4.20 掲載日 2014.11.13
翌朝、砂越駅から出発しましたが、駅のホームからも鳥海山が、よぉ~見えます。
「生石」集落に入る道路端で、小屋の柵内に馬がおり、へえぇぇ~・・今の時代に馬を飼うなんて珍しいなぁ。
競走馬ならば飼うのはわかるが、どう見ても、そんなに速く走れそうな馬でなく農耕馬のよおで、今もタンボを耕してるのだろうか?、それとも村の祭事に、流鏑馬みたいのに使うので飼ってるのだろうか?
馬は3頭居て、たぶん両親と子供(と言っても大きい)のような気がし、写真を撮ってると馬が寄ってきます。
子馬「ねぇ・・小汚いジジイが、ワシらの写真撮ってるでぇ。 行ってみよぉよ~」
母馬「シィッ・・目を合わせたらアカン。 ジジイのアホが移るから知らんフリしとけ。」
父馬「ワイとこの子馬に、手ぇ出したら承知せんでぇ。 カアチャン・・子馬を守れ。」と言ってるのかな?
集落の道沿いに「生石神社」の鳥居が有り、通り過ぎようかと思ったが看板があったので何が書いてあるのかと読んでいると、隣に「庄内33観音霊場」18番札所である「延命寺」の石碑が立ってます。
あらっ・・ここが札所「延命寺」入口だったのねと思い、先に行ってた越後屋を呼び戻しました。
これに気がつかなかったら、目標としていた先の学校まで行って、そこらを探してた事でしょう。
看板には、ここら付近では板碑がたくさん有るというような事が書いてあり、看板周囲にも、それらしい板碑が有ります。
看板より階段を上がって鳥居を潜ると、山へ向かっての急坂があり(一番上の写真)、道端にも板碑があこちに有りました。
やがて「延命寺」山門が有り、すぐに延命寺が有るのかと思ったら、そこからも道が続いており遠くに寺の建物が見えます。
18番札所「延命寺」観音堂は、本堂から離れた対面側に建っており堂内に入れました。
観音堂内には明治時代の巡礼奉納額が飾ってあり、巡礼者の女性がコウモリ傘を差しています。
そお言えば昔見た明治時代の古い記念写真・解説に、わざわざコウモリ傘を持って写されている・・と言うのが有りました。
明治時代の頃は、コウモリ傘を持ってると言うのが、文明開化の西洋風的でハイカラな金持ちシンボル的な持ち物だったよおです。
巡礼中に「あんらぁ~まぁっっ~!!・・奥様、立派なコウモリ傘ですこと・・お高かったのでしょう?」
「いえ・・物置に転がっていたのを、ちょいと持って来ただけですのよ・・オホホホホ・・」と言いながら、ふん・・私は笠なんて庶民的な物は被らないわよ・・コウモリ傘と言うハイカラな物を持ってるんだから・・と見せびらかして、目に見えぬ女の戦いをしていたのかな?。(^O^)
今ならばコオモリ傘は100均とかコンビニで売ってるので、天気が良いのに傘を差して歩いてたら笑われるじゃろけれども・・これも時代の流れですなぁ。
鳥居が描いてある奉納額も有り、たぶんここの「延命寺」境内に有る「生石神社」の参拝を記念しての奉納したのでしょう。
「生石神社」へは階段を上がって行くので、最初は疲れるからヤンピするつもりでしたが、σ(*_*)の参拝中に越後屋がヒマなもんだから行ってきたので、どんな様子か聞いてみました。
「生石神社」は普通の神社だが、神社を修復した時に動物の頭蓋骨が4つ出て来て、それが最近まで何の動物かわからんかったが鑑定してもらうと狐の骨だったらしく、その頭蓋骨を奉った「神狐塚」と言う祠が有ると言います。
ふうぅ~ん・・・面白そうな話じゃなぁ・・と見に行くとチッコイ祠が有り、越後屋が言ってた説明看板には「2~300年経過した大柄な狐の頭蓋骨」と書いてあり、こおいう話は、世に知られてないだろなあ。
それにしても、だれが何のために頭蓋骨を置いたのじゃろ?
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます
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