HOME > 遍路・巡礼 > 「遠江33観音霊場」目次と地図 > 16 日坂宿


 東海道・日坂宿のマンホール、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文 巡礼日  2014.5.24   掲載日  2015.1.28


東海道「日坂宿」/遠江33観音霊場記(光善寺)

21番「光善寺」相伝寺内

東海道・日坂宿・下木戸、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文   東海道・日坂宿・高札場、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文     東海道「日坂宿」相伝寺、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文

 菊川駅より県道37号線で線路を渡る高架橋を渡りましたが、これがけっこうキツイ坂道。東海道「日坂宿」・相伝寺境内、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文

 しかし高架橋の上から見ると、菊川駅の自転車置き場付近から線路を渡れるようで、あちゃあぁ・・苦労して上がって来たのにぃ。(T_T)

 昨日通った県道250号線・・この道で良かったのかなぁ・・と思いながら行くと、見覚えのある場所があり、ホッと安心。東海道「日坂宿」相伝寺と尺八、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文

 「道の駅・掛川」で一休みし、昼食用のオハギを買い、旧国道1号線より旧東海道を行くと、いかにも宿場街らしく古い家に「何とか屋」の看板が掛かってます。

 小さい橋の所が関所木戸だったらしく説明書きが有り、側には高札場が有り、よぉ~読めない高札が飾ってあります。

 札所の有る「相伝寺」は、高札所のすぐ近くで境内にあるチッコイ堂が遠江33観音霊場の21番札所「光善寺(相伝寺内)」でした。

東海道「日坂宿」浮世絵、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文   東海道「日坂宿・藤文」、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文   東海道「日坂宿・藤文」内部、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文

 「相伝寺」の前に有る宿「川坂屋」は、戸が閉まっており10時から開くらしいが、まだ1時間も有ります。東海道「日坂宿・藤文」蔵、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文

 ふう~ん・・と思いながら街通りを歩いてると、ここは「日坂宿」と言って「東海道五十三次」25番目の有名な宿場街だったのですねぇ、知らなかった。

 通りに「広重」の浮世絵看板が有り、「日坂」と書いてあるのを見て初めて東海道の宿場街だとわかり、どおりで古びた家が建ち並んでるなぁ・・と思ったんだ。

 日坂宿「藤文」の建物写真を撮ってると、車に乗って来たジサマが「今、開けるから。」と言って呼び止めます。東海道「日坂宿・藤文」バナナの木、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文

 あっ・・いえ・・別にどおしても中を見たかったわけでも無いのですが・・でも、せっかく親切に言ってくれたので、短時間と思い見せてもらう事にしました。

 ジサマは近くの駐車場に車を止めて側の家に声を掛け、写真を撮っていた日坂宿の「藤文」へ案内し説明してくれます。

 ちょうど東海道五十三次を歩いてるらしいオトッツアンが、ボソボソと歩いてたので、一緒に説明を聞かないかと誘いましたが断られ、胡散臭いヤツだと思われたのかな?

 ジサマが「藤文」の中へ入れてくれ、説明によると・・・この家は宿ではなく財閥の家だそうで、今では家の跡取りが居ないので市に寄付された物だ。 東海道「日坂宿・藤文」山水画、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文

 おぉぉ~太っ腹ですねぇ・・・。

 財閥の先代が、当時の日本では未だ世界一周旅行をした人が居なかった時に、山林を売り払って世界一周旅行をしたらしく、その時に持ってきたバナナの木がこれだ。

 ほほおぉぉ~・・検疫制度は無かったんじゃろか。

 どれくらい財閥だったかというと、ウンコした時には自分の尻を拭く専用の女中さんが居て、自分では尻を拭かないほどの財閥だった。東海道「日坂宿・藤文」襖、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文

 はりゃあぁ~・・でも説明によると、これは傲慢な考えからでは無く、貧しい人を少しでも雇って仕事を与えるためであったらしく、雨戸を開け閉めするだけの役目の人も居たらしい。

 「二階にも、ぜひ上がって見て行け」と言うので上がると、襖に山水画が描いてあり、その裏には難しそうな事を書いてある漢字がゴッテリと並んでおり、学が無いので、何を主張している文なのか、サッパリわからんかった。

 女優の「宮城まり子」さんは、ここの出身で実家は現在「JA」になってる。

 へえぇぇ~・・知らんかった、聞いてみるもんだ。

東海道「日坂宿・川坂屋」、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文   東海道「日坂宿・川坂屋」玄関内、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文     東海道「日坂宿・川坂屋」上段の間、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文

 礼を言って分かれようとしたが、ジサマは未だ説明が足りんらしく、札所前に有った先程は戸が閉まっていた日坂宿の「武士が泊まる宿・川坂屋」に案内します。

 ジサマが先程、声を掛けたのは、もう一人のジサマに時間が早いけれど日坂宿「川坂屋」を開けるように言うためらしく、すんまへんねぇ、σ(*_*)らのために・・

 「川坂屋」室内はどこも同じだろおと思い、玄関先をチラッと見て失礼しようと思ったが、これまた「殿様の部屋をぜひ見ろ、一段高くなっている。」と勧めるので上がりました。

東海道「日坂宿・川坂屋」襖、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文   東海道「日坂宿・川坂屋」庭、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文     東海道「日坂宿・川坂屋」茶室、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文

 「上段の間」と言うらしく、襖に書いてある漢字だらけの書は、明治天皇に字を教えた人が書いたものだそうな。

 「二階にも上がれ」と言われ、ここも襖に漢字が書いてあり、この付近は襖に漢字を書くのが流行ってたのだろうか。

 あんまり時間が過ぎると遠江33観音霊場の行程も有るので、これで失礼しようと思ったが、どおしてもこおしても「別棟の茶室もぜひ見ろ」と言い、茶室の「床の間」の曲がった木が「ツツジ」で、水戸偕楽園の茶室と同じ木だというのが自慢らしい。東海道「日坂宿・川坂屋」看板、自転車で巡った「遠江33観音霊場」紀行文

 玄関に戻ると宿の看板が並んでおり、「看板の表と裏とは違うが、わかるか?」と言います。

 宿名が漢字か平仮名かの違いが有り、これは日坂宿の町風景が良く似ているので、自分はどこの(漢字か平仮名)方角から来たのか判別するためだそうな。

 まだまだ説明が足りないような顔してましたが、これ以上長くなると先の行程に影響が出るので、厚く礼を言うと「子育飴」を1個づつくれました。

 東海道・日坂宿の説明をするボランティァのジサマだったのでしょう、ありがとさんでした。


  納札、遠江33観音霊場記←前頁「納札」へ    次頁「常現寺」へ→常現寺、遠江33観音霊場記


 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「阿字観」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます



以下、広告です。


 どんどん絵を描くことが好きになる!!
 楽しく学んで、どんどん上達
上西先生の水彩画教室⇒詳細はこちら