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尺八を携えた津軽33観音霊場記 仁太坊 巡礼日 2012.7.27  掲載日 2013.4.18 

津軽三味線「仁太坊」の生まれ故郷/津軽33観音霊場記(蓮川観音堂(月夜見神社))

12番「蓮川観音堂」月夜見神社

自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文    自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文     蓮川観音堂 月夜見神社

 木造町内を通り抜け、「芦沼」集落より川沿いに行くと「月夜見神社」があります。月夜見神社

 川の橋を渡った所にある鳥居・正面が「津軽33観音霊場」の観音堂かと思いましたが、これは「月夜見神社」で、12番札所「蓮川観音堂」は境内の隅の方にありました。

 この「月夜見神社」という名前は、いかにも云われの有りそうな情緒の有る名前ですねぇ。

 月夜見神社の拝殿には、納札が数枚貼ってあり、観音堂と間違ったのか・・観音堂を見つけきれず、わからなかったのか・・どこでもいいや・・と、めんどうだったのか・・・

蓮川観音堂・月夜見神社・狛犬、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文蓮川観音堂・月夜見神社・飾り物、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文蓮川観音堂・月夜見神社・飾り物、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文蓮川観音堂・月夜見神社・石仏、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文

 境内の狛犬が手拭いで「姉さんかぶり」をしており、メスの狛犬なのでしょうか・・笑わせてもらいました。津軽33観音 蓮川観音堂

 境内の隅には「百万遍」等の庚申塔の石碑が有り、側の木に「飾り物」が寄り掛かっています。

 今までもこの「飾り物」を時々見ましたが、薄汚れていたり壊れていたりして、どんな物なのか、よぉ~わからんかったが、ここに置いてあるのは新し物が有り、こおいう構造だったのかと初めてわかりました。

 頂部に朱色の団扇のような物を付け、横看板のような板には七色の雲・山・太陽・月?が描いてあるようで、山は岩木山を表してるのじゃろなぁ。蓮川観音堂・月夜見神社、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文

 横看板の両端から色テープが流れていおり、ここら付近の独特の風習なんじゃろうが、始めて見たなぁ・・これは、どおいう時に使われるのでしょうか?

 軸木には漢字が書いてあったが、よぉ~意味がわからず、何かの祈願のような気がする。

 ネットで探しても、この「飾り物」の説明どころか画像も見つける事ができませんでしたので、だれか知ってたら教えてちょんまげ・・・蓮川観音堂室内・月夜見神社、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文

 境内の隅に有る12番札所「蓮川観音堂」は締め切ってあったので、予想した通りに室内は湿気っており蒸し暑かった。

 蒸し暑い所で参拝するのはイヤなので外に出て吹こうとしたら、越後屋の「観音堂はあちらですよ」という声が聞こえたので見ると夫婦連れが来ました。

 かまわずに観音堂の玄関先に有る木の所で尺八を吹いたが、今度は風のために吹き口が飛ばされちゃう。

 風が当たらないように、あちこち向いたりして吹いていたので、夫婦連れはこいつは何を落ち着きの無い事をしとるんじゃ・・と思ったろおなぁ。

津軽三味線の始祖「仁太坊」生まれ故郷(乞食・芸人・托鉢の違い)

岩木川沿い、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文   自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文    岩木川 神田橋

 12番「蓮川観音堂」から、岩木川の土手沿いの道へ出る時に、暴走族のようなヤカマシイ爆音を鳴らしたバイクが走って行きます。

 しかも何が面白いのか、わざとユックリ走って行き、付近住民に「オレのアホな爆音を聞いてくれ」と主張しているよおで、もおチット、マトモな事に労力を使えば良いのにぃ・・・。岩木川、神田橋付近、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文

 σ(*_*)の尺八と同じように、人の迷惑をコレッポチも考えないヤツなんでしょうなぁ。

 川沿いの土手道は、たまに車が通りますが、自転車で走りやすく、橋が見えたと喜んだら「神田橋」手前の「三好橋」でした。

 カンカン照りの暑さで自転車を漕いでると腹も減り、だいぶヘタッてきた頃に、やっと神田橋に着き、ここへは津軽33観音霊場巡礼中に、どおしてもこおしても来てみたかった場所です。

 何でかと言うと、この神田橋付近で「仁太坊」さんが生まれ住み、生涯を閉じた所だったので、どおいう場所だったのか、ぜひこの目で見て確かめたかった。岩木川、神田橋より、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文

 「仁太坊」と言っても、「だれ?・・それ?・・どこの寺の坊主?」と言って知らない人が居るかもしれまへん。

 実際、越後屋も知らず「何でこのクソ暑い中を、こんな変哲も無い橋まで、わざわざ来るのじゃ」とブツブツとモンクを垂れてました。

 今でこそ津軽三味線は全国的に有名ですが、その津軽三味線の始祖と言われてる「仁太坊」の伝記を読んでみると、その生涯は芸一筋だったんですねぇ。

 その「仁太坊」が生まれ育った所が神田橋付近で、父親は岩木川で渡しの船頭をしていたそおです。岩木川・神田橋、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文

 神田橋を渡った所に「神原之渡し」「仁太坊之里」の石碑が建っており、「「俺は乞食ではない。芸人だ。」と言うのが口癖だった」と書いてあり、その言葉には、芸に対する誇りと意地が見られると思う。

 四国遍路をしていた時に、お金をもらうのに「托鉢」と「乞食」の違いがわからず、ずうっ~と悩んでいた時がありました。

 その結果わかったのが、お金の得られ方で違ってるのだとわかり、以前に他のページに書いた事があります。

 乞食・・・その姿を見て、カワイソーと思われ同情されて得るお金。
 托鉢・・・真摯に修行している姿を見て、その修行者に対し、何かしらの援助したいと思われて得たお金。
 芸人・・・その芸が面白い・珍しい・感心したと思われて得るお金。岩木川・神田橋、自転車で巡った「津軽33観音霊場」紀行文

 四国遍路の時に寺前で尺八を吹いて托鉢のマネ事をしましたが、笠に投げ入れられる小銭は自分の尺八力量が見られ、托鉢ではなくて芸人として見られていたのだと思います。

 一度だけ人気が無い寺の境内で、ヒマつぶしに隅で椅子に座って尺八を吹いてた時、横に置いたリュックの下に、そお~っと千円札を挟んでくれた人は、たぶん托鉢の気持ちでくれたのだろお・・と・・思いたい・・。

 「尺八を恋うる歌」→「人を恋うる歌」のパクリ替歌(著作権は消滅してるよおです)

 尺八吹けば 音冴えて 涙をさそう 情けあり
 せめてなりたや それほどに 一分のコンジョウ 九分サボる岩木川 神田橋 仁太坊

 尺八命を たずぬれば CDを聞きして マネをして
 わからん所は ゴマかして どうにかなるさ それらしく

 あぁわれ芸の 奇才無く 托鉢・乞食の 熱無きも 
 尺八抱きて 野にうたう 寺の本尊 喜ばず

 人や笑わん 尺八も 寺の山里 響き有り
 夢かと泣きて 感激し たまに有るかも まぐれかも


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「阿字観」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


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