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 市振・海道の松、「越後33観音霊場・只一人」紀行文 H19.10.7 巡礼  H21.7.11 UP


市振「海道の松」と松尾芭蕉/越後33観音霊場・只一人

関所榎

 「市振」町中を「親不知」に向かって歩いていると、看板があり「関所榎」と書いてあり、ふうむぅ・・関所が有るとは聞いていたが、この辺にあったのね。市振・関所榎、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 で・・榎はどこ?・・看板の後ろは藤棚になっとるが、榎はもう枯れちまったのかな?

 付近を見渡すと、グランドに大きな木が立っており、おぉぉ・・あれがそうか・・・この榎は関所が在った時から生えてるそうな。

 少し行くと「市振関所跡」看板と石碑が建っており、看板には関所の絵図が描いてあり、けっこう広い敷地のようですが、絵図ちゅうもんは、小さくても大げさに書くからなぁ。

松尾芭蕉泊「桔梗屋」

 そうそう、「市振」には俳句で有名な松尾芭蕉が、宿に泊まったとは知っていたのですが、もう旅館なんてやっていないだろおし、場所もわからんようになっとるんでは・・と思ってたのです。市振・松尾芭蕉泊「桔梗屋」跡碑、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 念のために道端で作業していたトッツアンに尋ねると「あぁ・・それなら、ほれあそこの電柱の所に看板がありますがな」と教えてくれました。

 さすが、有名人が泊まった宿は、地元の人は誰でも知っており、場所がわかっているのですねぇ。

 教えられた電柱の横には「奥の細道 市振の宿 桔梗屋跡」と書いた石碑が立ってます。

 つぶれかけた木賃宿のような建物が残っているのかと少しは期待してたんですが、今風の普通の新しい家になってました。市振・松尾芭蕉泊「桔梗屋」跡、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 しかし、この家の人も御先祖様がそんなエライ有名な人を泊めたばっかりに、家をジロジロ見られたり写真を撮られてりしてイヤじゃろなぁ。

 松尾芭蕉がこの宿で泊まった時に、同宿の女の人から心細いから道連れになってくれと頼まれたらしいですが、断ったらしいです。

 σ(*_*)だったら、喜んで道連れになってあげるのにぃ。

 むしろ、こっちから「荷物の一つでも持ってあげるから道連れになりまへんか」と、下心見え見えのお願いをしたら、女の人は「こいつは、危ないやっちゃ」と思って断ってくるじゃろなぁ・・きっと・・。

弘法井戸

 少し歩くと道の端っこに、今は珍しい釣瓶井戸が有り、「市振」の人達は水道も無く、まだこの井戸に頼ってるんか、カワイソーに・・と思ったら、看板が有り「弘法の井戸」と書いて有りました。市振・弘法井戸、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 この「市振」には、多くの云われの物が有りますなぁ、この「弘法井戸」は知らんかった。

 効能書きには
 「村はずれの茶店に小汚い坊さんが来て「水が欲しい」とワガママな事を言ったら、茶店のオババが1kmほど離れた所から冷たい清水を汲んで来てくれました。

 それを見た坊さんが「あちゃあぁぁ~・・トシヨリのオババに悪い事しちまったなぁ。」と反省努力をし、杖で足下を突いて井戸を作ったそうです。」


 いくら冷たい清水でも1kmも離れた所から持って来たら、着く頃には生温くなったり、水がこぼれたりしないかなぁ・・というコマカイ詮索は、こおいうタグイの美談では、しない事が不文律になっとるらしい。

 しかしさすが、弘法大師様が持っている杖の威力は、大したもんですなぁ・・パチパチパチ・・。

 σ(*_*)の杖は修行が足りないため、まだそこまでの神通力は無く、犬を追っ払う事もよぉ~できん。

海道の松

 「市振」町外れの海岸近くになると、古い松の大木が1本生えており、やっぱし効能書きが書いてあります。市振・海道の松、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 「海道の松」と言って、昔はここから海岸に降りて天下の難所と言われる「親不知・子不知」を通り抜けたそうです。

 松尾芭蕉も「親不知」側から抜けて来て、この松を見て「市振」に着いたと思いホッとしたかもしれまへんなぁ。

 この日に見た海は静かで、もし砂利浜が昔のように残っていたならば、波打ち際を歩けるような海象条件でした。

 なお、この「海道の松」は、2016年(平成28年)10月防風被害により倒れてしまい、今は有りません。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


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