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 親不知、旧国道、「越後33観音霊場・只一人」紀行文 H19.10.7 巡礼   H21.7.25 UP


「親不知」の30年前と現在/越後33観音霊場・只一人

天険トンネル

 親不知の「浄土」洞門を潜り終わ頃になると、車が渋滞し始めており、たぶん工事中で交互通行やっとるんだろおなぁ・・と思ってると「天険トンネル」手前から交通規制がかかっていました。親不知「天険トンネル」、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 停車中の車の横を歩いていくと、自動車の中からジロジロと珍しそうに見てくれ、さすがに指差して笑うという人は居なかったが・・・

 「天険トンネル」手前にある小さい橋から工事しており信号が付いてます。

 工事中の橋でも歩けるようなので、車に対して優越感を味わいながら、そのまま真っ直ぐ歩いて渡り、どおじゃぁぁ~・・歩いてたら、信号なんか待たなくてもええんやでぇ。!(^^)!

旧国道

  親不知・旧国道、「越後33観音霊場・只一人」紀行文               親不知・旧国道、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 「天険トンネル」手前の左側に旧国道が有り、車は入れまへんが自転車は乗り入れ可能です。

 そりゃあぁ・・排気ガスが充満しとるトンネルよりも、海の景色を見ながら歩いた方が健康のためにもよろしいですわなぁ。

 旧道は30年ほど前に来て歩きましたが、今回歩いてみると、あんまり手入れされている様子はなく、道の脇には草も生えていますが、ええんです、その方が自然ですから。

 しかし残念ながら海側の木が茂っているため、海を覗き見る事や、海の景色を楽しむ事は、あまりできませんでした。

如砥如矢

 だれもいない旧道をテクテク歩いてると、道の真ん中にデケエ岩が落ちてるなぁ・・と思ったら看板が有り、そこの山側崖岩に「如砥如矢」と彫ってある説明看板でした。親不知「如砥如矢」、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 この旧国道が出来るまでは崖下の海岸渚を歩いて苦労してましたが、この道路が出来て「砥石のように滑らかで矢のように速く通れる」と喜びを表した意味らしい。


 そもそもこの道が出来るきっかけは、今を遡ること百数十年前、畏れ多くももったいない、直接に見るとバチが当たると云われてた明治天皇が巡幸の際、この「親不知」を通行しようとなされた。親不知「天下之険」、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 しかし巡幸当日は、天候が良かったにもかかわらず、天皇が砂利浜を通行中に波にさらわれて溺れちまったら、お付きの人達は全員切腹、親類縁者は獄門磔・お家断絶・遠島申し付け・・・親不知「足下・・」、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 その家で飼われていた犬・猫達は、路傍に捨てられ・・野良となり、茶碗を抱えて遍路・巡礼の旅に・・・チリ~ン・・・と考えたらしく、大事をとって砂利浜ではなく山越えをしちまったそうな。1980年頃の「親不知」海岸下を見る、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 地元では小旗を振って迎え、茶でも飲んでもらおうと思ってたのに肩透かしを食い、それを嘆き悲しみ、国道建設の嘆願運動をした結果、この道が出来たらしい。

 「足下の100m下を覗いてみよう、波寄せる渚が昔の北陸道で・・」と書いてあるが、残念ながら海を覗こうとしても木々がジャマして渚が見えず、30年前にはチラッと海が見えたのだが・・

 他にも崖岩に「天下之険」「足下何たら・・」と彫ってありました。

「W.ウエストン像」と「親不知」模型

W.ウェストン像・親不知、「越後33観音霊場・只一人」紀行文     休息所、親不知、「越後33観音霊場・只一人」紀行文    親不知・休息所からの模型、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 そこから少し行くと休息所の屋根が見え、その入口に帽子を被って椅子に腰掛けて座っている人が居ました。

 近眼なので「こんにちわ」と挨拶して良く見ると、だれかの銅像じゃねぇか・・ゴラァ゛~・・。

 説明書きを見ると日本アルプスを紹介した「W.ウエストン」でしたが、何でこんな場所に座ってますねん?、間違って挨拶しちまったじゃねぇか・・恥ずかしい。

   親不知の模型、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 広い休息所には「親不知」の崖から渚までの模型が設置して有り、岩陰等の逃げ場の位置や説明書きもあり、非情にわかりやすい模型です。

 ただ、もんのスゴク残念な事には、「親不知」模型全体の写真を撮ろうとすると休息所の柱がジャマして、どうしてもこうしても全体像が撮れないのが、何ともいえんくらい惜しい。

 これだけ分かり易く、現実的な見事な作品なのに、もったいない。

 しょうがなく写真を組み合わせた模型写真を添付しました。

30年前の「親不知」と実際に調査したホームページ

 この「休息所」付近から「親不知」海岸が見え、30年程前この「親不知」を子供達と遊びながらビデオを撮った事があるので、引っ張り出して、その時の風景を比較しました。

1980年頃の親不知海岸、「越後33観音霊場・只一人」紀行文現在の親不知海岸

 ビデオ画像は、ややボケでいますが、当時の波打ち際には砂利浜が広がっています。

 この砂利浜の印象・感覚が残っていたので、「親不知・子不知」を何とか歩けるものならば、歩きたいと思ったのですが、やっぱり現代では無理ですねぇ。

 たぶん将来は、その痕跡も無くなっちまい、「ロング・・・ロング・アゴォ~・・遠い、遠ぉ~い・・昔にあったとさ・・・」という伝説となっちまうでしょう。

 そおいう意味でも、この砂利浜が写ってるビデオ画像は、当時を知る貴重な画像かもしれまへん。

 ネットで「親不知」を歩けるかを調査した人のホームペーシを最近見つけました。

 それによると「波よけ観音」は2体、今も崖に組み込まれており、「南無遍照金剛」と刻まれた岩は、海に崩れ落ちたらしく不明らしい。

 そいで、肝心の渚沿いに歩くのは、やっぱり困難らしく、その様子を詳しく調査されています。

 それでも、コンジョが有れば何とかなる、どうしてもこうしても歩いてみるんじゃ・・と挑戦したい方は、「伝説とひすいの郷 親不知・子不知」のホームページを参照してください。

追記 紹介したホームページを確認したところ、消えていました。
 詳しい調査と写真も多数掲載されており、もう二度とお目にかかれない貴重なページだったのに惜しい事です。(2017.4.17 追加記載)


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます

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