HOME > 遍路・巡礼 > 「越後33観音霊場」地図と目次 > 17 国分寺

 上越・五智「国分寺」、「越後33観音霊場・只一人」紀行文 H19.10.9 巡礼     H21.9.14 UP


上越の五智「国分寺」/越後33観音霊場・只一人

国分寺入口、「越後33観音霊場・只一人」紀行文       国分寺・仁王、「越後33観音霊場・只一人」紀行文         国分寺・仁王、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 時間があれば上越市内の居多神社に寄りたかったのですが、夕暮れも迫り始めたので、そのまま国分寺へ行きました。国分寺・山門、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 住宅地の四つ角で、どの方向へ行けば良いか迷ったが、そのまま真っ直ぐに進み、この付近では?と思いながら歩いてると、公民館の横から国分寺境内へ入れました。

 国分寺境内の石のベンチに荷物を置いて一休みすると、近くでオバチャン同士が話しており、側でチッコイ犬が「キャンコラ・キャンコラ・・」とσ(*_*)に向かって吠えます。国分寺・参道、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 ゴルアァァ~・・σ(*_*)がお前に何を悪い事したというんじゃあぁぁぁぁ。

 蹴っ飛ばしてやりたかったが、飼い主が居たので、カンベンして知らぬ顔してやった。

 飼い主のオバチャンが犬に向かって「あらぁ、何とかチャン(犬の名前)、ダメでしょ。」とか言ってるが、犬の何とかチャンは言うことをきかず、相変わらず「キャンコラ・キャンコラ・・・」国分寺・本堂

 そんな甘い生やさしい言い方をしてるから、犬が図に乗るんじゃ。

 躾ちゅうもんは、きちんと犬に正座させて、人に対しては、むやみやたらに吠えるんじゃねぇと、もっとビシバシと思いっ切り叱らないとダメじゃねぇか。

 場合によっては犬の頭を2・3発、ぶっ叩いてでも仕込まにゃ、人様に迷惑をかけるぞ、σ(*_*)なんか、犬のために数えきれんくらい、イヤな思いをしとる事だから。
       
 犬の「キャンコラ・・」を聞きながら一休みして、おもむろに境内をグルッと回ってみました。

国分寺・本堂、「越後33観音霊場・只一人」紀行文    国分寺・五重塔    国分寺・竹之内草庵、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 国分寺・本堂の横には「竹之内草庵」「親鸞聖人御配所草庵」と書いた堂があり、堂内の正面にポツンと親鸞さんの木造がサミシそうに飾ってあります。

 親鸞さんは流されて、ここでしばらく暮らしていたようで、後でネットで調べると、この木造は親鸞さん自身が彫ったと伝わってるらしい。

 境内には何かにつけて親鸞さんが、どうのこうの・・という石碑が有り、今まで国分寺はどこの宗派に属するんじゃろ?と思ってましたが、この国分寺はどうも浄土真宗らしい。国分寺・鐘楼、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 国分寺の鐘は、これだけ大きい寺なのに思ったよりも小さい鐘楼でした。

 この国分寺は、ずうっ~と昔からこの場所に有ったわけでなく、ホントはどこに有ったかわからないそうで、居多浜近くに在り、今は海の底という説も有るようです。

 上杉謙信が廃寺になっていた国分寺を「どこだったか、わからんもんは仕方がねえから、ここにしちまおうや」と決めちゃったそおです。 ほれ、泣く子と、何とかには逆らえん・・と言いますからなぁ。

 殿の御意向に逆らっても良いことも無いし、給料が上がるわけでもないし、下手に「殿・・そりゃぁぁ、ちと乱暴ではありまへんか」と意見したら、目を付けられて睨まれるだけ損なので、それ以来、現在の地が国分寺になったらしい。

 しかし、国分寺の場所がわからないというのも珍しく、下調べしてる時に国分寺の場所が不明・・という事を知った時は、まさかそんなはず無いじゃろ・・と思いました。浄恵智・鏡池、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 国分寺・境内を一巡りしてから、本堂で尺八を二曲吹き、親鸞さんが暮らしていた草庵でも一曲吹きました。

 第一回目の越後33観音霊場巡りは、ここまでの区切りとして3日間の旅を終え、直江津駅より家に帰りました。

 駅へ行く途中「鏡池」というのが有り、ここでも親鸞さんが池に写る自分の姿を見ながら自画像を描いて、だれかにやったらしい。


  居多浜、越後33観音霊場・只一人←前頁「居多浜」へ   次頁「春の夜」へ→春の夜、越後33観音霊場・只一人


 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「阿字観」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


以下、広告です。


 どんどん絵を描くことが好きになる!!
 楽しく学んで、どんどん上達
上西先生の水彩画教室⇒詳細はこちら