H20.4.14 巡礼 H21.10.14 UP
雨が降ってるわけでもないが、寒いので雨ガッパを来て歩くと、風から体温が奪われないためか、昨日ほど寒く感じなく、こおして、少しづつカシコクなっていくんですなぁ。(^O^)
菅原神社ちゅうのがありましてなぁ、どうせイナカの神社で大した事ねぇ、村の神社に毛の生えた程度のモンかと思ってたんです。
なもんで、荷物と尺八を菅原神社に入る所に置いて階段を上がると、けっこう広い境内を持つ落ち着いた神社でした。
よっぽど参拝するため、尺八を取りに戻ろうかと思ったんですが、昨日のように寒さのため指が動かず、失敗するかもしれんと思い止めました。
この菅原神社は昔、「越後騒動」ちゅうもんがあった時、菅原神社・境内で村の衆が代官所とケンカするために集まった所らしいです。
そおいえば「秩父騒動」で村人が集まった「椋神社」に、何となく境内の雰囲気が似とります。(^O^)
やっぱし、お上に逆らって決起集会を起こすには、こおいう広々とした境内が必要なのかもしれん。
境内の左側に柵がしてあり何じゃろ? 看板に「菅原古墳」と書いて、図と説明が書いてありました。
「前方後円」式の古墳らしく、図を見ながら柵内の土の盛り上がりの形を見れば、何となくそのように見えない事もない。
実は「前方後円の古墳」の実物を見るのは今回が初めてなんです。
こおやって柵をして図で説明してあれば、「おぉぉ・・なるほど、そお言えば前方後円の古墳のように見える。さすがじゃのおぅ。」と感心して、ウナリ声の一つでも上げるのですが、柵も看板も無かったら、どこに古墳?と思って、わからんかったと思う。
ずう~っと昔に聞いたのですが、山の中で少し盛り上がっている箇所は、たいてい古墳の可能性が有り、実際には世間には知られていないが、あちこちの山に、そのような物が有る・・らしい。
工事の途中で発見しても、何も見なかった事にして壊しちまい、そのまま工事続行してる事も多々有ったと思う。
何で工事を一時中止して発掘調査しないかというと、古墳を発見した時には届け出をして、その調査が終わるまで工事を再開できないらしいです。
そりゃあぁ・・工事関係者にしてみれば工期が決まってるおり、ただでさえ遅れがちの工事なので、そんなの見なかった事にして、死にものぐるいで工期を間に合わせないと叱られますからなぁ。
たぶん、そんな状況で、何も無かった事になっちゃって失われた遺跡も多いと思う。
菅原神社・裏側付近に「黒保遺跡出土炉跡」ちゅう看板と共に柵が有りました。
柵内を見ると枯葉が一杯溜まっていて、下に石を敷いて有るらしいが、枯葉のために何がどんな構造になってるのか、よぉ~わからんかった。
関係者の人・・たまには枯葉を取って掃除しといてね。
テクテク歩き、岡野町の区事務所付近に行くと、芝生の上に小山が有り石が転がっており、フウゥ~ン・・あの小山の穴みたい所で子供達が遊ぶようになっているのか、それにしても公園ならば、もおチット石の配置をキチンと出来なかったのかなぁ。
何も中途半端に石を転がして置かなくても、ええのにぃ・・と眺めながら歩いてると近くに看板が有りました。
看板を見ると、ここら近辺には「菅原古墳群」と言って古墳があちこちに100基以上有るらしく、先程の菅原神社の古墳も、その内の一つだったらしい。
先程の子供の遊び場と思った小山も、古墳の模型というか、移し替えたというか・・
小山の頂に上がって石棺を見ると、飛鳥に有る古墳を小さくしたような感じで、勉強になりまんなぁ。
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