H20.4.14 巡礼 H21.10.24 UP
テクテク歩いてると「宮口古墳群」というのが有り、公園のようになってます。
古墳群と言っても、広場に小高い塊が幾つかあり、何も知らなかったら小山の遊び場かと思うでしょうなぁ。
近くの広場には石が転がっており、一応、石棺の跡だと思う。
これも知らんかったら、工事の残骸の石ころかと間違うかもしれない。
そこからの道は「大型車通行不可」の標識が有りましたが、普通車が通ってるようだから、このまま行けると思い、ノドカなタンボの農道をテクテク歩きました。
道端に一本杉が生えた下に小屋が有り、その近くに「石造仏頭」という標識看板がありました。
きっと、看板近くに有る杉の木下にある倉庫みたい小屋が、風情的にもお堂のように思えたので、それが「石造仏頭」の建物だと喜んでたら、近くに脇道があり白い木杭に、脇道を進むように書いてありました。
この木杭案内が無かったら、わからんかったろおなぁ。
ほんの100mほど山際付近まで歩くと、小高い所にチッコイお堂と案内看板が有ります。
正式名は「石造仏頭」となっておりますが、別名「首切地蔵」という名もあるらしく、頭だけの仏さんらしいです・・早い話が胴体部分が無いちゅう事で・・事前調査で、その別名を見てから、どんなオトロシイ所かと、ワクワクしとったんです。
「石造仏頭」堂内をソッ~と覗くと・・・
キャアアァァァ~~!!・・・晒し首が・・・恨めしそうに薄暗いお堂の中で・・と言う事は無く、大きい石仏の頭だけが三体置いて有ります。
案内看板を読むと鎌倉時代の作で、左から「観音」「阿弥陀」「地蔵」の順番になっとるらしく、そお言われて見れば、そんな風にも見えます。
このような大きい「石造仏頭」は全国でも数体しかないらしい。
案内看板によると、平安時代に「信越の牧街道」という古道がここに有ったらしく、この付近は歴史が有るんですなぁ。
「牧街道」というのを今まで聞いた事が無かったので、帰ってからネットで調べたが、無い・・・見事な位に全くヒットしない。
もお千年以上も過ぎ去ったので、歴史から完全に埋もれちまい、街道の名前さえも忘れられ、知る人も居ないくなったのか・・
ただ、この付近に有る山は信州との県境で、山々は「関田山脈」と言われてるらしく、昔は上越と信州へ通じる山脈越えの峠が10数峠あったらしい。
そのうちの一つに「牧峠」というのが近くに有り(と言っても、だいぶ遠いが)、この付近から山越えしたルートが「牧街道」だったのかもしれまへん・・σ(*_*)の勝手な想像ですが・・・。
どなたか「牧街道」の事を知っておられる、博学のカシコイ人が居られれば、御教示願います。
きっと上越の瞽女さん達も「牧街道」を通った事でしょう。
現在は「信越トレイル」という、関田山脈の尾根付近を縦走するルートが作られているようです。
テクテク歩いて「水吉」の三叉路に、ゴミステーションの籠置き場が有り、ゴミ籠の側で一休みしました。
いえね・・別にゴミ籠が好きだからとか、昔を想い出してゴミ籠の臭いが懐かしい・・とか、じゃないんです。
座る高さに丁度良い場所に、ゴミ籠が重ね置いて有ったもんでして・・・
休みながらモクを吹かしていると、パトカーが通り、車の中から不審そうに見て行きます。
きっと、生ゴミの日でも無いのに、小汚いジジイの生ゴミが置いてあるなぁ、だれが捨てて行ったのじゃ・・と思ったのでしょう。
さらにテクテク歩き、足が疲れ始めたので「井口」にある寺の鐘楼下で、まだ昼には少し早かったのだけれど、少しでも荷物を軽くしようと思い昼食にしました。
トシのせいか、それとも今まで楽ばっかりしていたためか・・・1日20km歩くのもキツクなりました。
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