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 大泉寺・大清水観音堂、「越後33観音霊場・只一人」紀行文 H20.4.15 巡礼      H21.11.18 UP


大泉寺・大清水観音堂と中越沖地震被害/越後33観音霊場・只一人

道の崩れ

大清水へ、「越後33観音霊場・只一人」紀行文      大清水へ・道の割れ、「越後33観音霊場・只一人」紀行文      大清水へ、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 越後33観音霊場の札所「大泉寺(大清水観音)」への道は、あまりの急坂で、汗も出てきたので上着を一枚脱ぎました。

 こんな道を車で上る人は、今でも居るんじゃろおか?・・別の所から上る車道が有るとは聞いていたが・・。大清水観音堂の屋根が見えた、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 そんな事を思いながら歩いてると、道の手入れを最近してないよおで、やや荒れ始めてきました。
 
 そしたら、あぁたぁ・・道の真ん中付近より舗装がパックリ割れており、昨年の中越沖地震で割れたのか、それ以前の地震でなったのか・・これじゃあぁ・・車はビビって上って来まへんわなぁ。

 しばらく歩くと谷側の舗装部分が欠けてる場所が有り、こりゃあぁ絶対に、この道は車が通らない方がええかもしれんと思った。

 草が道を覆い始め、きっと最近はだれも通らず、こんな道を通るのは物好きなσ(*_*)ぐらいなモノじゃろなぁ・・と思った時に、茅葺きの屋根が見えました。

湧き水と3番札所「大泉寺(大清水観音)」

湧き水

 おおぉぉ・・やっと何処かの村に着いたのかと喜ぶと、その付近から土砂崩れで補修したのか急に道が良くなって、山側からパイプで水が勢い良く出ています。大清水・湧き水、「越後33観音霊場・只一人」紀行文
 札所「大泉寺」は別名「大清水観音堂」とも呼ばれているので、ひょっとすると、この湧き水が「大清水」という地名になった元の水かもしれんと思い飲んでみました。

 湧き水は、惜し気も無くドンドコと出ており冷たかったが、それにしては今一つ周りの雰囲気に情緒がありまへんなぁ。

 日差しがマトモに当たる、何も無い所で水が出てもなぁ・・もおチット木立に囲まれた、薄暗い雰囲気で水が出てる方がアリガタミが有るんだけど。

 まぁ・・土砂崩れで、こんな雰囲気になっちまったのでしょうから、仕方がないのかもしれん。

仁王門

大泉寺・仁王門、「越後33観音霊場・只一人」紀行文  大泉寺・仁王門、「越後33観音霊場・只一人」紀行文   大泉寺・仁王、「越後33観音霊場・只一人」紀行文  大泉寺、仁王、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 茅葺き建物を目指して上がって行くと、左に仁王門があり、この時点で既に札所「大泉寺」境内に入ったよおです。

 仁王門は中越沖地震で、かなり損傷を受けたようで、ちっと傾いており、ホントは最初に見た時は仁王門だと思わず、寺の納屋か?と思ったのですが、門を潜って初めて仁王門だとわかりました。

 だって・・普通、仁王門は参道正面に有り、そこで仁王さんがガンバッており、悪いヤツが入って来ないようにする、いわゆる用心棒の役目でしょうがぁ。大泉寺・境内案内図、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 つー事は、今通って来た道は、やはり正式な参道では無く、見つける事が出来なかった尾根伝いの破線の道が正式な参道だったよおです。

 その証拠に、仁王門より麓へ下りる細い山道が続いていました。

 仁王門は支え棒がしてあり、何とか倒れないようにしてあります。

 中には仁王さんが居られましたが、仁王さんも中越沖地震でケガされたよおで、見るからに痛々しい姿をして門を守っています。

 エライッ!!・・負傷しながらも、最後まで自分の役目を全うしようとする姿は、とても涙無くして見られません。

 仁王さんは、棒で支えたり、フトンを当てたりして、全治2年程度のケガをされたのでしょうか。

 傷害保険の地震特約を付けておれば、何とか通院・治療費位は出たのでしょうに・・。

本堂

大泉寺・境内、「越後33観音霊場・只一人」紀行文    大泉寺・本堂、「越後33観音霊場・只一人」紀行文    大泉寺・庫裡、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 「大泉寺」庫裡前のベンチに荷物を置き、ホントは腹が減って食事をしたかったんですが、食べると尺八を吹く時に唾が出てくるのでガマンしました。大泉寺の桜、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 本堂も棒で倒れないように支えられており、青いビニールシートに囲まれて立入禁止になって、ここも地震の被害が大きかったよおです。

 庫裡に参拝者が出入りしてるので、何か有るのかな?・・と思い、話しの種に入ってみると「本堂へは危ないので入る事が出来ず、本尊は脇の一室に安置してあるので参拝する人は入っても良い」というような事が書いてあります。

 庫裡の納経所に「入らせてもらいます」と声を掛けると、昼飯時らしく奥から「どうぞ」と言われたので、狭い一室に勝手に入り込みました。

 狭い部屋の中には、おいたわしい事に本尊さんを始め、震災被害を受けた仏さん達がゴタゴタと一杯立ち並び、仲良く避難所生活をされています。

 とりあえず正面が本尊さんらしいので、そこに座って鐘を叩き、尺八を吹き始めました。大泉寺・本堂の彫刻、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 σ(*_*)は寺で尺八を吹く時、その場に鐘が有ると勝手に叩きますが、この鐘の叩く位置や叩き方により、鐘の響きが違うのですねぇ。

 一応吹く前には3度鐘を叩き、曲が終わり次の曲を吹く場合は区切りとして1度だけ叩いてから次の曲を吹き、最後に終わった時も3度叩きます。

 これが正式な鐘の叩き方なのかどうか、わかりまへんので、どなたか、ご存知の方が居られれば御教示ください。

 尺八を吹いてると、住職さんが電気を点けに来てくれました。
 すんまへんねぇ、食事中なのに・・・わざわざ気を遣って頂いて・・・

 なんせ信心が足りんモンがやってる事ですので、部屋の中が暗くても、構わなかったんですが・・。

       大泉寺・本堂彫刻、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

大清水観音堂

 本堂の参拝が終わり大清水観音堂へ行く途中、住職さんと出会い「見事な尺八ですねぇ」と誉めてくれ、正直もんのすごく嬉しかった。

大清水観音堂、「越後33観音霊場・只一人」紀行文   大清水観音堂・内部、「越後33観音霊場・只一人」紀行文   大清水観音堂より見た境内、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 何の利害関係も無く、先入観も無い人からの評価が、一番素直なアリガタイ評価だと思ってます。

 大清水観音堂は、そんなに中越沖地震被害が無かったようで、正面は開いていませんでしたが、横から入れるようになっており、二曲吹きました。

木喰堂

 大清水観音堂での参拝が終わりベンチで食事していると、住職さんが「お茶をあげましょうか」と言ってくれたので、折角の申し出なのでお願いすると、お盆に寿司屋で飲むような大きい茶碗に、なみなみとお茶を入れて持ってきてくれます。大泉寺境内のベンチ、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 まさか、寿司屋で出るような茶碗で、くれるとは思わなかった。(^O^)

 休んでいたベンチの後ろに「木喰堂」があり、「木喰上人 木額」と書いた杭が有りますが、「木額」なんて堂のどこを探しても有りまへん。大泉寺・木喰堂、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 賽銭箱が、いかにもそれらしい年代物だったので、それか?と思ったのですが、賽銭箱とは書いて無いしなぁ。

 この賽銭箱も古そうなので、市指定の文化財と書いてあっても、「そおなのかぁ・・」と思って、だれからもモンクが出ないと思うほど古そうでした。

 後で調べると「木額」は、庫裡に保管してあるらしい。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


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