H20.4.15 巡礼 H21.11.21 UP
越後33観音霊場の札所「大泉寺」境内に池と言うよりも、水溜まりと言った方が正確と思える場所に水芭蕉が咲いており、本堂前の大きな「しだれ桜」は、ちょうど見頃で、まさに春爛漫。
この付近で、こんな見事な「しだれ桜」は見た事が無い。
地震で崩れた「宝きょう印塔」付近が展望台になっており、上って来た柿崎方面が霞んで見えます。
仁王門の所に「柿崎・米山方面の下り道案内看板」が有りますが、今となっては、この看板の通りに歩く人が何人居るだろおか?
大泉寺を出発する時に住職さんが庭掃除をしていたので、お茶の礼を言い「麓へ下る道は、山門脇の道でよいのか」と確認しました。
「はい、それで良いですよ。 上って来たのは?・・柿崎の方から上って来たのかね。?
ふうぅ~むぅ・・あそこの道はどうだった?」
「車では、もう上がれまへんねぇ。 道の舗装が一部割れている箇所がありましたから・・」
「そおか・・」という風に肯きます。
たぶん、「大泉寺」へ登って来た道は今後歩く人以外は通らなくなり、この御時世では歩く人も滅多にいないので、やがて廃れ消滅しちまい、昔は道が有ったという伝説だけが残るのかもしれまへん。
「山門前から続く山道が有るよおですが、あれは昔の道ですか?」
「昔は、そおだったろうが、今は高速道路が出来て道が寸断されて、もう通れないだろう。」
住職自身も確認してないようですが、「大泉寺」庫裡近くに駐車場が有るので、わざわざ歩いて札所寺へ上って来るヒマ人は居なく、住職に確認しろと言う方が無理ですわねぇ。
話しは少し変わって、最近知ったのですが、「遍路」と「巡礼」とは大きく目的が違うようで、単に「88カ所」と「33カ所」の違い、「弘法大師」と「観音」の違い程度だと思ってたんですが・・
「遍路」は「寺から寺へ行くまで、その区間行程での修行」が目的。
「巡礼」は「行程での修行よりも、寺で「祈る」」のが目的らしい。
σ(*_*)は今まで三十三観音を巡っていても「遍路的」考えをして巡ってるので「道」を重視しており、「祈り」よりも「行程」の方を最優先にしています、すんまへん。
しかし今更、信心が足りんのに「祈り」を主と言われてもねぇ・・・
神社仏閣での尺八参拝は、ご挨拶代わりというつもりで、手抜きもせず真摯に吹いてるつもりですが、そこには「祈り」が全く有りません。
それに何を祈るの?・・「世界平和」?・・へっへっへっ・・そんなキレイ事を祈ったら、皆さんから笑われますがなぁ。
「世界平和」なんて、「オウム真理教」も、世間から嫌われている「顕正会」も言ってます。(^O^)
それに何か一つでも祈っちゃうと、欲深い人間だから、次から次へと何でもかんでも、祈っちゃうような気がする。
そお言えば、四国を巡っていた時「何も祈っていない」と言ったら「もったいないなぁ・・」と坊さんに言われた事があった。
これからも、たぶん「遍路的」考えで、三十三観音を巡ると思う、σ(*_*)、ゴージョウな人間だから。
話しを戻して、道は急な下り坂で、ここを上ってくる人はヒーコラ言わにゃアカンじゃろなぁ。
道は同じように舗装してあり、途中から日本海が、よぉ~見えます。ヤッホー・・・
やがて札所「大泉寺」へ行く車道とぶつかり、その地点には丁寧にも「観音堂 歩く道・車の道」と矢印・距離付きの案内看板が有り、車の道を行くと、歩く道より3倍の距離があるんですなぁ。
S字カーブの車道は、やがて高速道路とぶつかりT字路になっております。
そのまま大きい車道に沿って左側へ行きそうになった時、右側の農道側に「弘法大師何とか・・」と書いてある小さい石碑を見つけましたが、はて?・・ここら付近に弘法伝説が有ったかな?
昔の地図を見た時に、この付近に小さい寺が有り、そこを通る道が有った事を思い出し、今はそのような道は高速道路が出来たため無くなっちまったよおです。
試しに高速道路に沿った右側の農道へ行くと、地図の通り小さい溜め池が有り、山を振り返ると鉄塔が見え、あそこに有る「大泉寺」から下りて来たのかぁ・・。
付近に高速道路の下を通り抜ける「柿崎8」と書いてあるトンネルがあったので、そこを通って高速道路の向こう側に出ると、高速道路に沿って農道があり、そのうち国道へ向かう道があったので、ひとまず国道へ出ました。
先程のT字路を農道へ入らずに車道のまま歩けば、国道の側に「大清水観音」の看板が有るのは知ってましたが、これで200mほど近道したと思う。
以下、広告です。