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 妙智寺、「越後33観音霊場・只一人」紀行文 H20.5.3 巡礼    H22.1.13 UP


柏崎「妙智寺」で尺八三昧/越後33観音霊場・只一人

柏崎トルコ文化村

山菜取り、「越後33観音霊場・只一人」紀行文     柏崎トルコ文化村、「越後33観音霊場・只一人」紀行文     「鯨波」付近、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 国道を歩いてると反対側を、こちらに向かってノホホンと歩いてる人物が見え、リュックも担いでるようなので旅行している同業者かな?と思った。

 近づくにつれ、どうも山側を気にしており、山菜採りをしているようで、もっと近づくと山の斜面で何かを採っている相棒が居ました。

 そおじゃろねぇ、そう簡単に歩いて旅行している同業者はいないよねぇ。「鯨波」付近。「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 更にテクテク・・・国道脇の丘に大きな木馬が、ポツンとサミシそうに立っており、昔ここに「柏崎トルコ文化村」ちゅう施設が有りました。

 開園した時に一度行った事が有り、確かにトルコの異国情緒が有って従業員もトルコ人で親切でした。

 しかし、残念ながら入場料が高かったのと、一度行けば再びまた行きたい・・と思うほどの施設ではなかったように思う。

 そのためか「柏崎トルコ文化村」は、赤字でツブレっちまいましてなぁ・・まぁ、その後もいろいろとゴタゴタが有ったらしく、今はションボリと木馬が立っているだけで、ちなみに、この木馬は「トロイの木馬」を想定しとるらしいです。

4番「妙智寺」

 鯨波の旧道をテクテク歩き、越後三十三観音霊場の4番札所「妙智寺」は、そろそろじゃが?・・・

 札所「妙智寺」へ入る道を探しながら歩いてると、ちょうど道端へオババが出て来たので捕まえて聞いて見ると「ここから100mほど行くと国道へ行く道があるから、その道を行きなさい」と教えてくれました。妙智寺、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 で・・100mほど行ったが、国道へ出るような大きい道が無く、民家の玄関で立ち話してたオバハンに聞くと、「ちょっと戻った所の道だけれど、そこの道を右に曲がって行けば行けるよ」と教えてくれました。

 しかし・・そこの道というのが・・民家の庭先へ行くような細い道で、想像していたような車が威張りながら通れるような広い道では無かった。

 教えられた狭い道を行くと、こんな所を胡散臭いヤツが来たという雰囲気を丸出しにしてジロジロ見ているトッツアンがおり、妙智寺を聞くと「すぐそこだ」と教えてくれ、ホンマにすぐそこだった。

 妙智寺は禅宗のようで、敷地の左側箇所の山門付近は情緒が有りますが、右側半分は広々とした更地で駐車場のようになっています。

 「妙智寺」本堂階段に荷物を置き、たぶん勝手に入っても良いだろおなぁ・・と思ってた時に寺の人が来たので、許可を得て堂内に入り畳敷きの広い本堂で、貼ってある紙を読むと座禅の講習もするようです。

  妙智寺・欄間、「越後33観音霊場・只一人」紀行文
  妙智寺・欄間、「越後33観音霊場・只一人」紀行文
  妙智寺・欄間、「越後33観音霊場・只一人」紀行文
  妙智寺・欄間、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 堂内の欄間の図柄は、何かの物語を題材にしたのだと思いますが、建物内でだれかが昼寝していて、どうかしたらしい・・という物語だと思う。

 だれかカシコイ人が居たら、どういう内容か教えてね、欄間の順番も、これで良いのか、よぉ~わかりませんので・・

尺八三昧

 本尊さんの前で、しばし尺八三昧。

 この「三昧」つうのは、何となく精神を集中し余念を無くし、一心不乱に物事をするという意味らしいのはわかります。妙智寺、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 現状では読書三昧・ゼイタク三昧等というように使われてますが、「三昧」という語句はホンマは仏教用語らしく、ちい~っと調べて「尺八三昧」として例えてみました。

 尺八を吹いてる自分がおり、その尺八を聞いてる自分がいる。

 うんうん・・吹いていて、そお思う事が有りますわなぁ。

 尺八を吹いてる自分と、聞いてる自分が別々では本当の尺八三昧とは成っていなく、不二一如(一体となるような意味)になって初めて三昧の境地に達する。

 そんな事を言われても、ただでさえ尺八を吹いてる時、どおでもええ、いらん事などがフッと思い出されますがなぁ。

 でもそれはそれで、凡人には仕方がない事らしいです。 どうせ大した事でも無い、くだらん事しか思わんので・・・

 ただ、その思いをいつまでも引きずったらアカンらしく、いつでもいかなる時でも、ひたすら「心身一致」「のめり込む」「没我」状態になるように訓練するのが「三昧」の目的らしい。

 「没我」については「四国遍路記 第三章 38没我」に記載してありますので、良かったら読んでください。

 で・・その「三昧の境地」に達すると、どうなるのか?、あの世へ行ったら蓮の上に座り、キレイな天女さんと茶でもすすりながら親しくお話ができるのか?

 いえ・・・死んだ後の事はわからんが、とりあえず現世においては、キレイな天女さんのような人と出会った時でも、心が乱れず・騒がず・揺れ動かず、何とかして口説き落としてモノにしようとする焦った気持ちも無く、静かに落ち着いてお話できる心境になれるそうです。妙智寺・境内、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 残念やったのおぅ・・トッツアン・・たいした事が無くて・・(^O^)ケケケケ・・・・・まぁ、「三昧」は一種の悟りの状態だと思います。

 四国遍路してた時、坊さんに「悟ったらどうなる?」と聞いたら「なあぁ~も変わらん、ただ何事にも動じなくなる」と言われました。

 「何事にも動じなくなる」と言っても、バケツで汲みだしても尽きぬ位にあるアホな心のため、どうしてもちょっとした事でもジタバタと動じます。

 株の上下で真っ青になったり、宝籤に1億円でも当たったら、それこそ大騒ぎで、なかなか「フウ~ン・・・そおなの・・」と冷静になれる心境になれまへん。

 尺八三昧により、そこまでの心境へ行けるものならば、行った方がええでしょうなぁ。まだ当分、行けそうもないが・・・

   妙智寺・彫刻、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 三曲目の尺八を吹いていると参拝客が来ましたが吹き続け、終わってから振り返り挨拶すると、参拝客は親・子・孫の三代で来た三人連れで、バサマが手を合わせて拝んでおり・・ううむぅ、拝まれる程のモンでもなかったのだが・・

 残るトッツアンと孫娘は神妙に正座して聞きいってたようで、足もシビレる事だろおし、無理して正座なんかしなくても良かったのにぃ。「鯨波」付近、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 トッツアンが「坊さんですか」と聞いてきたが「いえ・・只の一般人です」と答えました。

 姿形・やってる事から、よぉ~坊さんと間違えられるので、今度からホンマに「はい、そおです」と言って、ニセ坊主のフリして、それらしい事言ってみようかなぁ。(^O^)

 「妙智寺」を出て旧道へ戻り、どこの道から入るのかと確かめると「鯨波中央」バス停前の細い道を行けば良かった。

 あっ、近くに真言宗の寺が有るから間違わんでね。
 


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


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