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 「越後33観音霊場・只一人」紀行文 H20.6.7 巡礼   H22.2.27 UP


子供達の見送り/越後33観音霊場・只一人

「赤田町方」付近、「越後33観音霊場・只一人」紀行文   「吉井」の池、「越後33観音霊場・只一人」紀行文    「矢田」付近、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 「吉井」付近に溜め池があり、冬になると渡り鳥が来るらしく観察小屋らしき物も見え、そこの東屋で一休み。

 出発して「矢田」より旧道へ行くと、山に向かって矢田城址の標識が有り「500m」と書いてあり、どうしょうかなぁ・・と思い山道を少し行ってみると、道の奥で工事してるようなので行くのを止めましたが、少し行くと道端に石仏と六地蔵が有り、山へ向かって道が有ります。

 矢田城址の山と同じ麓なので、ヒョッとしたら城址から降りて来る別の道かもしれんと思い、上がってみると墓場のようなので引き返した。

「畔屋」付近、「越後33観音霊場・只一人」紀行文      「畔屋」付近、「越後33観音霊場・只一人」紀行文       「平井」付近、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 「畦屋」集落入口に公園が有ったので、そこの東屋で昼食にした。

 しばらく歩き続けると、遙か遠くに霞んでいる「刈羽黒姫山」が見え、これから柏崎より「高柳」集落へ行くのに、この「刈羽黒姫山」の山越えをするつもりです。刈羽黒姫山を望む、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 ちなみに、単に「黒姫山」でも良いのですが、北信濃・青海付近にも同じく「黒姫山」と名付いてる山が有るらしく、わざわざそれと区別するために「刈羽」の地名を付けて「刈羽黒姫山」としているようです。

 「三ツ家」から鉄道を越え、自転車を押して歩いてると、民家の前で二人のチッコイ子供が遊んでいました。

 σ(*_*)とこの孫と同じくらいかなぁ・・と思い、子供を見ながら歩いてると、子供も気が付いたらしく笑いながら手を振ってくれました。「三ツ家」付近、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 良かったなぁ・・普通のカッコウしていて・・これが笠と杖を持った見慣れんカッコウしとったら、人さらいと間違われて家に泣きながら駆け込んだかもしれん。

 なんせ人相が悪いモンだから、「巡礼しとる」と正直に言っても、果たして信用されるかどうか・・・・悪くすると泣き声を聞きつけた近所の国防婦人会のオバハン達が、憲兵隊に通報して厳しい尋問を受けたかもしれん。

 子供達に手を振って応えると、喜んでおり、少し行ってから振り返ると、また手を振って見送ってくれます。

 幼い子供ながらも、旅人とわかったのでしょうか。もちろん手を振って、喜んで応えました。

「佐藤池新田」付近、「越後33観音霊場・只一人」紀行文  「下軽井」付近、「越後33観音霊場・只一人」紀行文  「下軽井」付近、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 ところで「下軽井川」へ向かうはずが、どう道を間違えたのか、近くの「佐藤池新田」へ出ちまった。

 「運動広場」で一休みしながら地図を確認すると、先程の子供達が見送ってくれた付近で道を間違えたよおです。

 純真無垢の幼子が笑顔で手を振ってくれたもんだから、すっかりその見送りに感激しちまい地図を確認しなかったんですなぁ。

 四国と違って、なかなか人と触れ合ったり、話す事は少なく、今まで越後33観音霊場を巡っていて、だれかと手を振ったりして挨拶した事が有るだろおか?

 間違った所まで戻らずに、そのまま「下軽井川」へ向かって歩きました。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


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