H20.7.3 巡礼 H22.3.24 UP
鎖場の箇所よりヒーコラ言いながら30分ほど登ると、やがて石の階段が有りました。
やれやれ、また階段か、キツイなぁ・・と思いながら上ると、古墳のような高台に小さい祠と石仏が並んでおり、なかなか孤独感溢れる・・というか、情緒ある風景じゃありまへんか。
白い木杭に壊れた看板があり、そこが刈羽黒姫山山頂でした。
上がって来た道の脇には新しい避難小屋が立っており、中に入ってみると登山者名簿が置いてあり、最近では2日前に一人来たよおです。
シーズンになると、けっこうたくさん登って来るよおで、冬にも登ってる人が居るよおです。
どこから登って来たか等「登り口・降り口」のコース欄が有り、ほとんどの人が「磯之辺」から登って同じ道を降りるコースで、次いで「白倉コース」が多かった。
残る2コースのうち「清水谷コース」は、かなり人数が少なく、σ(*_*)が登って来た「折居コース」なんかは、サミシイ事に、なかなか登って来る人が見当たらず一番少なかった。
そおやろねぇ・・なんせ、ほとんど45度のような坂道を上って来るんだもん。
おまけに鎖場や、断崖の上を歩く尾根道なんかも有るので、そりゃあぁキツイくて、おっかないですわ。
知ってたらσ(*_*)も他のコースを選んだかもしれん。
刈羽黒姫山・山頂からの展望は、祠の有る後ろ付近だけが切り開かれて下界が眺める事ができ、明日から山越えして行くのは、どの付近だろう。
刈羽黒姫山・山頂から鵜川神社へは、それほどキツイ尾根道ではなく、下り道なのでアララッ・・・という間に広い草原の所へ着き、小屋が有るなぁ・・と思ったら、それが鵜川神社でした
。
ふと横を見ると、草に埋もれかかった三十三観音の石仏が3列に並んでいます。
どこから運んで来たのかわからんが、ここまで33個の石仏を持って来るのもタイヘンだったでしょう。
ところで、この原稿を書いてる時にこの石仏の事をネット調査してわかったんですが、越後霊場三十三観音・第九番札所は、昔はこの鵜川神社だったよおです。
その資料内容は、下記のとおり。
「本地垂迹」 左側フレーム「北陸道」→越後→黒姫(クリック)
「日本の神々 8 北陸」黒姫神社(鈴木昭英)
里宮の境内には、山宮・里宮を掌る神職の大倉家が居住するが、同家所蔵の享保八年(1723)の文書によれば、黒姫大明神は大倉家の先祖が両部神道を勤めたときに本地観音像が垂迹したものという。
すなわち、昔は黒姫大明神は本地観音、垂迹罔象女神とし、別当大倉氏は神仏混淆の社僧であった。
山頂本宮は本地仏としての如意輪観音を祀って越後三十三観音第九番札所に指定されていたが、その石像は明治初年に山麓の磯之辺に下ろされ、いまも黒姫山観音堂に奉安されている
σ(*_*)は、この資料を見るまでは「磯之辺」に有る観音堂が、ずうっと昔からの越後三十三観音の札所だと思っました。
刈羽黒姫山・山頂に越後三十三観音の九番札所が有ったという話しは聞いた事が無く、また他の関連ホームページを調べていた時にも、そのような事が記載してある物は見当たらなかった。
明治初年に「磯之辺」へ観音堂を移してから、すでに100年以上も経ったので、そおいう経緯は忘れられちまい、σ(*_*)のように「磯之辺」に有る観音堂が、昔から伝わる札所の場所だったと思う人も多いのではないかと思う。
そいでもって、そおいう事が徐々に忘れ去られちまい・・・はっ?、そおですか・・・σ(*_*)だけ、知らなかったのですか・・・そおですか・・・すみません・・・シクシク・・・ワァ~ン(T_T)
それにしても明治時代以前の昔に越後三十三観音霊場巡りをする人達は、どおしてもこおしても何がなんでも絶対に刈羽黒姫山・山頂に登らにゃアカンかったのですねぇ。
その際は前の八番札所「不動院」から登山口に近い、「折居」or「清水谷」コースで登った可能性が大きいと思い、タイヘンだったでしょうねぇ・・昔の人は・・
。
そんな越後三十三観音霊場と深い関係の有る神社だと知らなかったので、フウ~ン・・という感じで鵜川神社の中をチラッと覗いただけで行きましたが、知っていれば、もおちっと感慨深げにマジマジと眺めていたかもしれん。
鵜川神社付近より麓の「磯之辺」を眺めると、真下に緑の広場が見えます。
おおぉぉ~・・立派なゴルフ場がいつの間に出来たんじゃろと思ったが、良く見るとそれは水田でした・・スイマヘン。
鵜川神社脇に「白倉・清水谷コース」の道が有り、ウッカリしてたら、そこの道へ行っちまいます。
「磯之辺」へ降りる道は、神社から少し離れた所に石階段が有りますが、案内標識があれば安心して下りれたのですが、何も無いので一応地図で確認して降りました。
刈羽黒姫山の下り道「磯之辺コース」は、「折居コース」の尾根道とは違い、山の中腹を降りるためか九十九折りの道で道幅も広く、けっこう急坂でしたが、それでも「折居コース」よりも歩き良いと思う。
下る途中に石碑らしい物が有るので、「オッ?」と思って立ち止まり、その付近を見渡すと石仏が草に隠れています。
石仏付近の少し小道を入った所に清水が溜まっており、蛇口から細々と水が出ています。
先程の石碑は、たぶん何かの云われが書いてあったんでしょうが、よぉ~読めなく、たぶんこれが黒姫山の「鬼殺しの清水」だろおと思い、帰ってから調べてみると、やはりそのよおでした。
さらに山道を降りると「石黒」へ分岐する木杭がある箇所へ来ると石仏が有り、なかなか情緒が有りますねぇ。
だいぶ降りた頃に始めて人と出会い、これから刈羽黒姫山・山頂に向かうトッツアンで、軽く挨拶すると「車で来たが登り口が、なかなかわからんかった」と言います。
少し行くとキャンプ場の炊事場が有り、いかにも蚊がいそうな所だった。
さらに少し下ると広い草地に車が止まっており、先程のトッツアンの車でしょう。
そこから舗装道路に降りたましたが、トッツアンの言うとおり、何の看板も出ていないので、始めての人は入口がわからんかもしれない。
もし入口の目印を探すのならば、草地に有ったトイレの屋根が舗装道路から見えるので、それを目当てに山側に入る道を探すよりしょうがありまへん。
舗装道路を歩き、大きくカーブした少し広い所で昼飯にしようと、どっかり腰を下ろすと、すぐ近くの草藪の中で水がチョロチョロ流れている所があります。
近寄ってみると草に覆われながらも、サミシそうに「鬼殺しの清水」と書いた木杭が有り、えっ?・・はれっ?・・そおすると山中で見た清水は何?、事前調査では清水の場所は山中で、このような舗装道路の場所ではなかったような気がするが・・。
先程の清水の箇所から、かなりの距離が有るけれど、パイプかホースでここまで清水を引っ張って来ているのでしょうか?
この舗装道路の場所で、清水を紹介した物は見た事が無いので、どなたか御存知の方は教えてください。
その場所で昼飯を食べ、ちょうどペットボトルの水が1本空になったので、チョロチョロ流れる清水をジィ~ッとヒマそうにペットボトルへ流し込みました。
暑い時に、このような冷たい清水は、もんのすごく美味しく感じ、これを飲めば元気が回復して、鬼をも殺す事も出来るかもしれん。(^O^)
それにしても「鬼殺しの清水」という、いかにも黒姫山・特産焼酎の銘柄のような名前の云われを調べましたが、わかりませんでした。
どなたか博学の人、知ってたら教えてくんなさい。
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