H20.7.5 巡礼 H22.4.21 UP
「栃窪」集落からの下り坂、地図で確認するとS字カーブの所でショートカット出来る旧道?らしきものが有り、通ってみると、かなり距離が短縮でき、何かもんのすごく得した幸せな気分になる。
スキー場施設の近くにも旧道が有り、広々としたタンボの中に一本の杉が生えてます。
杉の木の側に看板が有ったので読んでみると、ここもやっぱり旧道で上杉謙信が街道筋に目印として植えた杉だそうです。
何故、杉が目印になるかと言うと、雑木林の中でも杉だけは冬になっても葉を落とさず、遠くからでも見つける事ができるため目印となるそうで、さすが名の有る武将が考える事は違いますねぇ。
ただ当時の杉は枯れちまったので、現在の杉は新しく植えたそおで、この付近を「一本杉」と言うらしい。
旧道より車道に出て塩沢方面へ少し行きましたが、途中より「古里」集落へ行くため、たぶんこれも旧道だと思われる道を行き「越後33観音霊場」の12番札所「天昌寺」へ向かいました。
越後三十三観音霊場の札所番号通りに行くならば、塩沢に在る11番札所「大福寺」へ行くのですが、塩沢へ行く途中に少し寄り道した「思川」集落にある12番札所「天昌寺」を先にした方が、再び道筋を戻るようなコースになりまへん。
少しでも楽ちんして、歩く距離を短くするため、あえて12番「天昌寺」を先にしました。
歩いてると「ゴオオオォォォッッッッ~~ッッ・・・・」という地響きのようなオトロシイ音が聞こえ、何が有るんじゃと思ったら、どおやら新幹線が通ってるトンネルが近くに有るよおです。
暑い日差しを受けて、タンボ道をテクテク・・・道端の日陰で一休み。
「古里」集落で、うっかり細い道へ入ったら迷子になって、集落のゴミ捨て場付近に出てしまい、運良くオババがゴミを捨てているのに出会いました。
出来れば、もう少し綺麗な場所で若いネーチャンと出会った方が、もっと幸せだったのだがと思いつつ、そんな事は顔に出さず「天昌寺」への道を聞きました。
やっと天昌寺へ着き、入口付近は杉木立も有り涼し気なのですが、境内は切り開かれていて、あんまり木陰は有りまへん。
本堂と思われる箇所両側に、仁王さんがガンバッテおり、普通、仁王さんは山門で「ゴル゛ア゛~ッ」と言ってガンバルものだと思うが、山門脇に作るのを省略して本堂前に設置したのでしょうか。
ちょうど寺の人が居たので、断って水道の水を使わせてもらい体を拭き、本堂の庇の日陰で一休みしました。
あちいなぁ~・・入口付近の木陰へ行こうかとも思いましたが、メンドウなのでそのまま本堂の日陰に居ました。
境内に墓があり近くの少し小高い所に堂が有り、その道筋に「南無観音・・」の赤い幟も立っていたので、「天昌寺」には観音堂が有るのかもしれんと思い、行ってみるとやはり観音堂でした。
赤い幟を見つけなかったら、わからんかったでぇ。
参拝して再び本堂の庇でグタ~ッとしていると、若い坊さんが通りすがら挨拶してくれ「地震で観音を修理に出している」と言い、良く聞いてみると観音堂の建物の修理ではなく、観音像を修理に出してるらしかった。
あらら・・するってえと・・σ(*_*)は空の観音堂で参拝した事になるんかな?、まぁ、いいや・・気は心というから・・・
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